2018-02-14
琴音さん―「女神」の歌声
初めて琴音さんの歌を聴いたのは、2月4日(日)の夜。
たまたまつけたテレビで歌っていて、その歌声の美しさに驚いた。
ぐんぐん引き込まれ、気づくと正座して聴いていた。
何時からやってたんだろう、この番組。
「今夜、誕生!音楽チャンプ」…ふだん見たことがなかった。「次世代スターを夢見る挑戦者が歌ったりパフォーマンスをして、辛口審査員やロボット採点機がジャッジするという番組」らしい。
私が聴いたのは一曲。琴音さんは翌週は見事勝ち抜きチャンプとして挑戦者を迎えるということだったので、私は手帳の2月11日の欄に「TV 琴音さんの歌」と書きいれた。
そして日曜日の夜。午後内覧の方が来られた後、疲れが出てしまいつい忘れそうになったが、思い出して、聴いた。
やっぱり素晴らしい…
声に魅力がある?
そう。
歌がうまい?
そう。
だけど、それだけじゃない。不思議な存在感がある。魂を鷲づかみにされて揺さぶられる感じ。
そう感じているのは私だけではないらしい。司会の黒木瞳さんも審査員の森久美子さんも、聴きながら涙を流している。ある審査員の方は「女神がおりてきた」と表現された。
女神がおりてきたー。
そう。本当にそんな感じを受けた。
もちろん万人ではないだろうけれど、多くの人を動かす何かがある。
私は彼女の歌に、絶望と希望の両方を感じた。絶望からの希望、といった方が近いかもしれない。
絶望の淵にあってやけっぱちになっている自分や、「生きることは妥協すること」と本当の自分を蔑ろにしている自分に対して、
「そうだよね、辛いよね、そうだよね、頑張ってきたんだよね」と寄り添い、
「でもね、でもね、見て、希望はたしかにある、いっしょに見て」と光の道筋を指し示してくれる。
そして、心の奥底の大事なところをやさしく開いて見せてくれる。そんな感じ。
開かれた人がカタルシスと喜びを感じ、涙するのではないかな。
「心眼」や「奇跡」ってこんな感じ?
琴音さんの歌う姿を見ていて、もしかしたら、「心眼 」とか「奇跡」ってこの感じに近いのかな?とふと思った。
ACIMを学びながらも、私は心眼や奇跡が実感ではよくわからないでいる。
「奇跡とは真実の顕在化、現実化である。知覚が奇跡によって修正され見えてくる光景がヴィジョンである」(大畑学著、『A Course in Miracles Workbook精読』レッスン91より)。
最近の復習では、レッスン158に「その心眼は、あらゆる人々や状況や、すべての出来事や事件の中に、まったく陰ることのない光を見る。」(L158-7-5)、
レッスン159に「キリストの心眼は二つの世界の間の架け橋である。そしてあなたは、この世界から、赦しによって神性になった世界へと自分を運んでくれるものとして、安心してその力を頼みとすることができる。」(L159-5-1,2)とある。
よくわからないけれど、琴音さんは何かを発信していて、錆ついてはいるもののもそのレシーバーを持っている私たちにキャッチさせてくれる。そのレシーバーがあることを教えてくれる気がする。
そして私たちも同調して音色を勝手に奏でだすのだ。
「与えることは、自分がすでに受け取っていることを認識する方法である。それは、自分のもっているものが確かに自分のものだと示す証拠である。」(L159-1-7,8)とある。
16歳、新潟の女子高生だという琴音さん。
存在のちからに年齢は関係ない。それを才能というのかな?
受け取った私も、「受け取っていることを認識する」ために、何か発信できたらいいなと思う。