コメントもらう。すごくうれしかったけど、その前に固まった

2018-02-06

コメントもらった、固まった

この『奇跡講座ダイアリー』にコメントをもらった!

同じ『奇跡講座』の学習者だという、くさちゃんさん ♪

先月の18日のことだ。

すごくうれしかった!!

でも、その前にびっくりの方が大きくて固まってしまった。それで、「どうも。よろしく」みたいな返信しかできなかった。

私は数年前にACIMに出会って、心惹かれワークを始めて、それからひとりでワークをしていて、何かしら発信したりシェアしたいと思ってこのブログを作ったはずだった。

だけど、同時に「世間」が怖かった。

世の中から見るとACIMの考えは極端に見えるし(極端どころか、「世界はない」と言っている)、根幹の「赦し」という概念も、「じゃあ、悪い事や悪い人をそのまんまにしておけってこと?」「ただの現実から逃げているだけじゃないの?」などと言われそうで、そうした意見に対する答え方もよいかわからなかったから(自分自身の心の声だ)。

元々うまく自分の意見を言えない質なのだ。

つながっていない架空のブログ?

メジャーなブログの会社のブログは人目にさらされてしまうかな。WordPressならそんなに目立たないか。

見てもらいたいから、作るブログなのに、見られた反応が怖い…。でも、ここにもACIMの学習者がいると声をあげたい。そんな複雑な気持ちがあった。

だけど、私の心配をよそに、インターネットの大海原の中で『奇跡講座ダイアリー』の小船が発見されることはなく、何も変わらなかった。

ずっと前に英語のコメント、何かの宣伝なのかな?そういったのを30個くらいもらったけれど、意味が理解できず放置していて、その後コメントはなかった。

いつしか私は、パソコンの向こうの鍵付きダイアリーをこそっと開けて日記を書いている気分になっていた。以前お笑いタレントのフルーツポンチ村上さんがお笑い番組で、どこにもつながっていない「架空のブログを書いている」と話して、皆にきもがられていたが、私もそんな感覚に陥っていた。

でも!

私のブログはつながっていたんだ!

くさちゃんさんから、2度目にコメントをいただいた時、少し「びっくり」が治まって「喜び」のリアクションができた。

「鏡のむこうとこっち」から次のステージへ

私は、知らないうちにACIMの世界とこの世のゲンジツの間に鏡でも置いていて、その二つの世界を分けていたようだ。それこそが、ACIMのいう「分離」の世界観なんだろう。

観念の世界のACIM。心の中の聖域。

やっぱりACIMは私にとってゲンジツからのシェルターになっていたのか。

その鏡の向こうから、くさちゃんさんが「こんにちは!」と出てきた。

私の返信に対して、くさちゃんさんは、ACIMのワークをしていることをより具体的に書いてくれて、やっとゲンジツ感が湧いてきた。

ああ、つながっていた…

ACIMの教えどおり、このコースはひとりで歩む道ではない。わかちあってこそ習得できる道なのだ。

いつまでも、鏡のなかの個室にこもって拗ねて体育すわりをしていてはだめだ。

くさちゃんさんはブログも書いていることを発見。まだ心の筋肉はキンチョー気味だけど、そのうちに遊びに行けるかもしれない。単に本やワークブックを通しての学びじゃなくて、次のステージに行こう。

私は自分のきもちを表現するのが得意じゃないが、じつは感激しているんだ。

鏡の向こうからの「こんにちは」に!