2018-02-01
復習Ⅴへ
復習Ⅴには、全体を通して唱えるテーマがある。
「神は愛であり、だから私も愛である。(復習Ⅴ 序 4-3)」
毎日の復習はこの概念とともに始める。そして、この概念とともに終える。この概念とともに眠りにつき、朝目覚めてからもまずこの概念を意識に上らせる。
「愛である私」という自己概念を強力に育てていくことが、この復習のテーマなのかな、と思う。それは今後出会う周りの人に「愛である私」を伝えて「愛である私」を呼び起こしていくしごとのためでもあるんだろう。
イエスは、この復習の序文で「この復習を私への贈り物としてほしい。なぜなら、私が必要としているのはただ、私が語る言葉をあなたが聞き、それを世界に与えることだけだからである。(復習Ⅴ 序9-1) 」と言っている。
そして「私は真の自己からあなたに呼びかけているが、その自己はあなた自身の自己にほかならない。(9-4)」と言う。
この自己への道は、兄弟と歩む道、私たちはいずれ各々真の自己となり神とひとつになる。
「それならば、生きているもので、あなたとひとつでないものなどあるだろうか。(9-9)」
このフレーズが心に響いた。
このゲンジツの私は、他者を「搾取する者」や「うまくしてやろうと思っている者」に見えているからだろうか。
レッスン171-レッスン151、152の復習
レッスン171は、レッスン151とレッスン152の復習。
L151)すべてのものごとは神を代弁する声のこだまである。
L152)決断の力は私にある。
実生活では、マンション売却のための一括査定をお願いしたのち5社の不動産屋さんに訪問査定をしていただき、短期間のうちに見ず知らずの男性が相次いで家を訪れ部屋を覗き込んでいく(それが査定だ)という状況に、強いストレスと緊張を感じていた。
また、その査定結果は安いところと高いところには1,500万円もの差があって、「いったいここは本当はいくらが妥当で、いったいどの不動産屋さんに仲介をお願いすればいいの?」と、訳がわからなくなっていた。
各社からの電話やメール攻勢にも緊張し、あげくの果てには胸が締めつけられるように痛くなってきた。
ワークをしていても、「不動産屋さん、どこにしよう、早く決めなきゃ、どうしよう」がチラチラ出てきてしまい、ざわざわする。すべてエゴ的反応だ。
「あなたには判断するということができない」
レッスン151、152の本文を読んだ。
「どうしてあなたに判断することなどできるだろう。あなたの判断は、五感が差し出す証拠に基づいている。ところが、これ以上に間違った証拠というものはほかにあったためしがない。(L151-3-1,2,3)」
あ゛… そ…
「これまであなたは、自分で判断することを控えるようにとたびたび勧められてきたが、その理由は、それがあなたにふさわしくない権利だからではない。あなたには判断するということができないからである。(L151-4-2,3)」
あや…
これらの文言が、「不動産屋さん、どこにしよう」と迷っていた私の頭をコーンと叩いた。
そうか、私には判断できないのか。
査定価格、会社の力、手数料割引や売り方、担当者の第一印象、キャリア、手腕などなど「細かく分析」し「総合的に判断」しようとしていたつもりが、「五感はあてにならない」し「判断するということができない」のか、と。
特にいくらで売ってくれるつもりがあるのかという査定価格には、大きく心を動かされていたけれど、そもそも「おカネ」なんてものはないはず。
あるのは、神の豊かさだけ。
私たちはそれを自我という制限のプロジェクターを通してこの世というスクリーンに映しているだけ。
神はこの世を作ってはいない。
自我という影と制限、罪悪感と恐怖を映しているだけなのだ。
大事なのは聖霊の存在を感じ、その導きを受け入れていくだけなんだ。
「誰がパートナーなのか」
何日かこのワークをしていて感じたのは、
「やっとここまできたか」という誰かの声。これが聖霊さんの言葉なのか。
マンションの大型修繕計画やモンスター的住人、役員でごたごたしそうで、「引っ越ししよう」と思ったが、もしかしたら一連のできごとは、故郷にいる親のことが気になけつつ動けないでいるがに、何らかの変化をもたらすために私の無意識が引き起こしていることか…
そもそも聖霊さんの後押しのプロジェクトなのか…?と感じた。
それは、この先どういう展開になるのか私からは見えない、だから私には何もわからないが。
そして、「誰がパートナーなのか(不動産屋か、聖霊か)」と問われている気がした。
もちろん正解は「聖霊」だ(正しい見方を覚えていれば、そのはず)。
レッスン152本文の冒頭には、「自分の決断に因らない限り、誰も損失を被ることはありえない。苦痛を被ることを自ら選択しない限り、誰も苦痛に苦しむことはない。(L152-1-1)」とあり、
また「あなたの身に起こることで、あなたの願望を表していないものは一つもなく、あなたが選んだもので、そこから省かれるものも一つもない。ここに細部にわたって完結したあなたの世界がある。(L152-1-5)」ともあった。
そうなのだ、困ったや苦痛を感じたとしたら、それは私が作ったもの。すべては私が描く世界なのだ。
上手にワークしているつもりでいたけれど、差し迫るゲンジツの前ではすっかりこういう教えを忘れていた。
そして、今覚えているつもりでも、またすぐに忘れるんだろう。
ただ、このマンション脱出&住み替えプロジェクトには聖霊さんの導きがあるようにも感じた。
恐れないでひとつずつ進もう。なるたけ耳をすまそう。
私が私のじゃまさえしなければ、すべてはうまくいく。