ゆるすことを勉強中

2017-11-13

当マンションで大型修繕工事案が計画中

私は今、住んでいる古マンションの管理組合の理事長だ。

役員は順番制だけど高齢化率が高く、賃貸に出して実際には住んでいない人は除かれるから、4年に2年くらいは役員が回ってくる。そしてなり手がいなくて、今は「理事長」。私だってヤだけど、拒みきれなかった(>_<)

もうすぐ築40年に手が届く古い建物で、前回の大型修繕からもう15年近く経っていて、そろそろ大型修繕が必要…

ということで、管理会社の勧めで無料建物診断をしてもらったが、やはり「早急な対応」が求められるとのことで、大型修繕工事の事案が上がっている。

排水管もしょっちゅうどこかで水漏れしていて、どうせなら大型修繕と排水管更生工事を両方やってしまおう、という方向に進行中だ。

問題は、修繕積立金がまったく足りないこと。概算で2,000万円以上借入が必要。住民のなかには、すべてにヒステリックに反対するタイプの方もいて、決まったとしても難航しそう…

役員以外は、無関心を決め込んでいるのか、建物の無料診断説明会や工事やその際の借入の必要性の説明会にも、役員とそのヒステリックな反対者以外はほどんど出席なし。

ただ管理会社の担当者は、他のことはなかなか動いてくれないくせに今回はやけに積極的。公募する修繕業者がなければ管理会社推薦の業者で進めることになるが、そうしたらよっぽどいいことがあるのか、、前のめり姿勢だ。

こんな多額の借金をするのに、表面的な形式だけは踏んでいるけれど、それでいいのかな?皆さん、説明会に参加されていないけれど、どれだけ理解し、納得しているのかな、と気がかりな私。

「見積もり参加業者の募集」!?私まだ確認してないよ

そんななか、「11月末までに工事業者を推薦ください」と理事長名(つまり、私の名で)業者募集がポスト投函されているのを見つけて、びっくり。管理会社の担当者の方が、作って出したものだ。

私は、なんとなく話はしていたものの、「11月末までに工事業者を推薦」の条件と締切はまだ話し合いをした上で進めるつもりだった。

なんかいやな気がした。何がどういやなのかはわからなかったけど、急にドキドキしてきた。

少し時間が経ってから考えてみたら、私に書類を確認することなく、物事が進められていることに、“強引さ”を感じ、それに恐怖と怒りを感じたらしかった。

恐怖は、形式上の手続きだけはとっているけれど、住民のみんなは説明会に参加もせず、どれだけ工事について理解し了承しているのか。充分に納得しないまま、私の責任で大きなおカネを借りることと、それで工事をすること…だった。

怒りのほうは、「見積もり参加業者の募集」書類は、やっぱり私に最終確認をしてからにしてほしかった。なんか甘く見られているのかな、と感じ、自尊心が少し傷ついた。

私が矢面に立たされているのに、自分のコントロールを超えて事が進む感じがいやだったのだ。

ACIMでは、この世の幻想性を見抜き、それを赦すことを学んでいるはずだったけれど、私はただこの世から逃避して、この世での力だけを弱めているようにも思える。実際に「問題」が起こった時、「これは幻想だから」と逃げているだけで、その対処法がわからない。

私の恐怖と怒りをゆるす

今朝のワークで、このことをイメージしてみた。

これも、またやはり幻想にすぎない。

何かがあって→ 私が恐怖と怒りを感じたのではなく、

私の心に恐怖と怒りがあって、それが存在を私に主張している。

…だから、このことが起こっているのだ。

だから、このゲンジツに対処は必要だけど、それは派生して出てきたこと。元である私の恐怖心と怒り(神からの分離という誤解に由来する)こそ、幻想だと見抜いて赦すことが必要なのだ。そう感じた。

私が恐怖と怒りをいただいたまま、管理会社にアプローチしてもうまくいかないだろう。

まだざわざわがあるけれど、それを治めてから、具体的な行動を決めたいと思った。

生きるのは、この地に足をしっかりつけて踏ん張るようなものだと思っていたけれど、今は自分の人生映画のスクリーンに現れてくることに「私が作っている映画だよ」を思い出すようなもの、になっている。