2017-08-29
復習Ⅳへ
復習Ⅳは第2部への準備らしい。レッスン121~140の復習。毎日2つずつ復習する。
復習Ⅳ全体をつらぬくテーマとして、次のようなものが掲げられている。
「私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。」
一日のはじまりにこの想念と5分によって、さまざまなかたちであらわれる赦したくない気持ちや自らを欺こうとする気持ちを一掃し、各々の復習への準備とする。
「それだけで、その日が神の定めた道筋にそったものとなり、あなたがその日に受け取るすべての想念を神に一任することになる。」
そうした準備の後にその日の復習課題である2つの主題概念を読み、目を閉じ、ゆっくりとそれらを自分に言い聞かせる。
そして、「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を、受け取りなさい。」とある。
一日の終わりにも、同じように全体をつらぬくテーマとその日の2つの復習に心を向けて終える。
また、日中は「一時間ごとに、一日のはじめに抱いた概念を心に思い浮かべ、その想念とともに少しの間、静かな時を過ごす。それから、その日に復習する二つの主題概念をゆっくりと繰り返し、そこに含まれているあなたへの贈り物が見えてくるまで充分な時間をかける。」
これは、どのくらい厳密にやるのだろう。
1時間に一度、全体テーマと主題概念の復習を繰り返し、そこから贈り物が見えてくるまで充分な時間をかける、というのは、いくらなんでも非現実的な気がするが…。
少なくとも私は厳密にやろうとしたら、ずっと足踏みが続きそうだったので、朝夜はやって、あとはその間できたらやる…でよし、とした。そして、中間にあまりできなかったワークは2、3日かけることとした。
北朝鮮ミサイル発射―朝のニュース
今朝、テレビをつけるや否や、北朝鮮からミサイルが発射され、日本上空、襟裳岬から1180㎞東の太平洋沖に落下した、とのニュースが飛び込んできた。襟裳岬の東1180㎞…が瞬間的にどこかイメージできなかったけれど、キャスターの方は緊迫した雰囲気だ。どの局の画面にも赤い警告みたいな掲示があって、尋常じゃなさを感じさせた。
日本列島上空を通過するなんて、失礼な話だ。いったい何考えてるんだ!やめてくれ
…と思った。かなりまずい状況なのか。ニュースに見入る。
が、その前に朝のワークをやるかと、テレビを消した。そして、復習Ⅳの序を読み返した。
その時、
「まずは、真の赦しの欠如を巧みに隠している数多くの形態について理解することから、私たちの準備を始めよう。それらはすべて幻想であるから、その正体の通りに知覚されてはいない。そしてその正体とは、赦したくないというあなたの想念が見えるものとなって認識されるのを防ぐための防衛である。」
という文言がひっかかった。
北朝鮮のミサイル…もまた、「真の赦しの欠如を巧みに隠している数多くの形態」の一つなんだろうか。
ワークをして
今日のワークはレッスン143だったけど、今日ダイアリーに記すのはレッスン141。先週土曜日にやった。
レッスン121と122の復習
L121)赦しが幸せへの鍵である。
L122)赦しは、私が望むすべてを与えてくれる。
「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を、受け取りなさい。」とあるけれど、そんなわかりやすいものがあるのかな、と思いながらやった。
正しいかどうかはわからないけれど、私が受け取ったのは次のことだった。
L121をイメージした時。
「あなた自身を(ほんとうに)赦しなさい。
心の奥で「罪深い」と思っている自分を赦しなさい。
あなたがなぜ赦せていないのか。
それは目に見える他者を「赦そう」という覚悟に欠けているから。どこかであなたは「他者を責めたい」と思っている。
それは、自分を赦したくないと思っている証だ。
起きてもいない罪にしがみつくな。」
そう感じた。
L122をイメージした時は、「もし私がすべて赦されているなら、どう感じるだろう」と想像してみた。
とてもとても幸せで安心感があることだろう。
でも、赦されている状態を私は「if(もし~ならば)」をつけないと想像できないんだな、と思った。
私のエゴが、もしこのままACIMの勉強が進んだら、自分はどうなってしまうのだろう、と怯えているのを感じた。
私は分裂している。エゴが導く私と、聖霊(ホーリースピリット)が導く私。
エゴは、「よしんばACIMが素晴らしいものだとしても、この世で身体を持って自分を守って生きるにはエゴは不可欠だ」とささやく。
そうなのかな?
でも少しずつでもコツコツACIMの勉強を続けよう。
赦しは、私が望むすべてを与えてくれる。
アファメーション
起きてもいない罪にしがみつくな。