祈りの瞑想とその二次的利益

2017-07-28

『神の使者』からの要約

『奇跡講座』(ACIM)に出会うきっかけは、ゲイリー・R・レナードさんの著書『神の使者』だった。これが私にとってACIM学習の土台になっている。

もちろんテキストやワークブック、マニュアルが根幹だし『神の使者』にはACIMの教えには含まれないアサンディッド・マスターの意見もある。だけどこちらの方が具体的で説明がわかりやすいので、少しACIMから遠ざかったかなと思うと、『神の使者』とその続編を再読している。『神の使者』はまちがいなく、私が人生で最もくりかえし読んでいる本だ。

でも、分厚い本なので、どこに何が書いてあったかどこがどう印象に残ったのかすぐ忘れる。

…、で、『神の使者』でとくに素晴らしいと思う部分や覚えておきたいことなどを要約しておこうかと思う。

読み返すたびに、アンテナに引っかかる部分が変わってきたり、感じ方が変わる。それもおもしろいと思っている。

祈りの瞑想と二次的な利益

今日は13章「真の祈りと豊かさ」の真の祈りの瞑想とその二次的な利益について、自分なりに復習をしようと思う。

世の中をどう見るか。

この世を「実在する」と見るか、実在しない「幻想」を見ているのだと見抜くか。私たちの源を神と認め神に信を置くのか、それとも、くるくる変化するこの世の何かに拠りどころを見つけるのか。

『神の使者』には、この世でのキャリアや営みなどは一時的なもの、要するに、豊かさを象徴する一時的なツールだという。そうしたものに信を置いても変化は避けられず振りまわされる。

そうではなく豊かさの源とつながることによって、常に満たされ溢れ出る状態でいることこそ、本来の私たちのあるべき姿だという。

そのためには、幻想に信を置いてそれをリアルにしてしまっている、その見方を変えなければならない。

真の祈りの秘訣とは、必要だと思っているものを忘れること。具体的な何かを願うのは、罪を座視し、それから赦すのと同じだ。同じように祈りのなかでは自分の具体的なニーズには目をつぶり、神の手に委ねること。

そして、具体的な祈りの瞑想の方法が、以下のように書かれている。

たとえば瞑想するとき、Jあるいは聖霊の手をとって神のもとへ赴く自分をイメージしたらどうかしら。それから、自分の問題や目標や偶像を贈り物として、『彼の』祭壇に捧げる自分を想像する。どれほど神を愛しているか、そして完璧に面倒をみてもらっていることを―永遠に安全で完全に満ち足りていることを―感謝しているかを神に語りかけてもいい。」(アサンディッドマスター、パーサの言葉)

私たちはこのゲンジツの世で多かれ少なかれ、問題や欠落感を感じている。でも、それをどうこうしようとするのは、幻想の世に信を置いていることになる。そうではなく、必要だと思うものはいったん意識から離して神の祭壇に捧げる。心の深みで神への感謝と愛だけを感じる。これが真の祈りのポイントだ。

二次的な利益

それには「二次的な利益(効果)」が伴うという。

二次的な利益とは、自分が抱えていた問題の答えが聖霊によってもたらされること。たとえば、サンドウィッチを食べたり仕事をしている時など思いもよらない時に、ふいにひらめきが訪れると。

ここでポイントとなるのは、特定の問題について「解決をお願いします」と頼むのではないという点。頼んだのでは、本当は幻影にすぎない問題をリアルにしてしまう。

そうではなくて、問題と思うものは自分の意識から離し、ただ神と一つになろうとする。わが家を思い出す。それによって愛と安らぎに包まれる。これが一次的な利益だ。

そして、二次的な利益として、神の祭壇に捧げた「問題」の答え、方向性が得られる。

神がこの世で行動するなんて考えないで。そんなことはありません。導きに従った、安全あるいは豊かさの象徴としてこの世界に現れるかもしれないわ。

二次的な利益を最初から求めては、幻想をリアルにしてしまうから、欲しいものは遠のく。ただ、神を信頼して自分をゆだねる。そのことが現実のニーズにも応えてくれる方法だ。

納得。だけど、目前の問題は棚上げして神とただ一つになるには修練が要りそうだ。これは霊性の声を聴く訓練にもなるから、忘れずにしばしばやりたい。

祈りの瞑想のプロセス要約

①聖霊とともに内なる神の祭壇に行く(イメージをする)

②自分の問題や目標や、偶像を、贈り物として神の祭壇に捧げる。心の外に出し、自分は忘れる。

③神に深い愛と感謝を捧げる。神とひとつになる。

④その喜びを感じる(祈りの瞑想の一次的効果)

⑤その後に、ふと、自分の問題や目標についての、解決策や方策のヒントが与えられることがある(祈りの瞑想の二次的効果)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る