レッスン132-これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。
2017-07-27
永遠の名曲「時間よ止まれ」
矢沢永吉さんの「時間よ止まれ」や岩崎宏美さんの「聖母たちのララバイ」を作詞された、作詞家山川啓介さんが24日亡くなられたとの報道を聴いた。
「時間よ止まれ」は、私が高3の夏に流行った。最も好きな曲だ。この曲を聴くと、18歳の夏の躍動感、期待感、刹那な感じを思い出す。
おととい、なんでかこの曲が頭の中でくり返され、人通りのない道を小声で歌いながら帰った。そうして帰宅したら、作詞家の方が亡くなったとのニュース。切なく、また昭和が遠くなったな、と感じた。
もちろん、形あるものすべて、今ここにある私の身体も含めて幻想だと学んでいる。でも、若い頃、大人で偉かった方が、ひとりずつ消えていかれる。それは、学習途上の私にとっては、やっぱり寂しい。
近年、とくに父が亡くなってから、人の死に敏感になっているのかもしれない。死を含め、あらゆるこの世での別れは、神との分離の再現フィルムというけれど…
矢沢永吉さんの歌う「時間よ止まれ」はひと夏の恋を歌っていて、田舎の高校生だった私にとっては都会的でセクシーで、ちょっぴり危険な大人の香りがした。
時間よ止まれ。この言葉には、今の中に永遠を見たいという、私たちの恒久の願いが込められている。この歌を聴くと、今が永遠や時を超えた何かにつながっているとかすかに思い出すような感じもある。
「夏の日の恋なんて幻と笑いながら
この女に賭ける」
「幻でかまわない
時間よ止まれ
生命のめまいの中で」
幻でかまわない… 情熱的な素敵な詞だ。
レッスン132-これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。
『時間よ止まれ』が素敵だと私が感じるのと、レッスン132の主題概念は矛盾するのかもしれない。
レッスン132「これまで『世界』だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。」
世界…、この中には時間、過去と未来も含まれるから。
「世界それ自体は無である。あなたの心が世界に意味を与える。あなたがそこに見るものはあなた自身の願望である。」
「世界は存在しない!これがこのコースが教えようとしている中心概念である。」
「あなたは、神が創造したままのあなたである。あなたが苦しむことが可能であるような場所はどこにも存在せず、あなたの永遠の在り方に変化をもたらすような時間というものも存在しない。」
世界を自分がそう思っていた考えから解き放つということは、自分自身についての認識を改めることだ。
私たちは神が創造したままの私たちである。
神が創造するものは神から離れてはいない。
だからこそ、
「世界は存在しない。世界とは、神から切り離された想念であり、父と子を分離させ、神ご自身の一部を切り取り、神の全一性を破壊するために作り出されたものだからである。このような概念から派生した世界が実在のものでありえるだろうか。」
「生命あるものは、そこにはありえない。私たちも同じである。私たちは父が私たちに用意した家の中に、それらとともに存在しているからである。」
レッスン132は、私たちが世界と思っていたものから世界を解放する練習を15分×2回する。
ワークをして
理屈はわかっても、自分にとって圧倒的にリアルなこの世を虚無だと思うのは、なかなか…
知人に夏のギフトを送りすでに配送済みなはずなのに受け取りの連絡がないことが気になっていた。ワークの中で、このあまりに些細なことを赦した。
それから、私が不安や不満に感じていることは、全部私が自ら投影して見せているのだということを思い出し、これらもひとつずつ赦して解放した。
そして、心を静かに保ち、心の奥底に本来の自分を感じるようにした。
不平不満はすべて私がないものを見ている証拠だ。見方が間違っているという、その結果を示しているのだ。
結果ではなく原因たる私のものの見方や姿勢を変えるべきなのだ。
そして、私はやはりACIMが正しいと思うから、世間的に見たらヘンテコでも、ACIMにすがり自分なりにこれに準拠して生きたいと思う。
夜のワークをして、そう思った。
…とその瞬間、ゴキブリが部屋を横切った。
ぎゃー!!
今年初のゴキ…
一瞬見なかったことにしてふとんに潜り込もうかと思ったけれど、そういうわけにはいかない。殺虫スプレーを取ってきて、戦闘姿勢に入った。
これも幻想…だと知っている。だけど、だけど、
それはまた別の話だ(>_<)
アファメーション
ゆっくりと一枚ずつエゴの皮を脱いでいこう。