レッスン128-私が見ているこの世界には、私が望むものは何もない。
2017-07-18
レッスン128-私が見ているこの世界には、私が望むものは何もない。
7月初旬頃からずっと真夏の陽気。まだ梅雨明けはしていないみたいだけど。。今年の夏は長そうだ。暑くてしんどいけど、夏はきらいじゃない。夏には若さを感じるから。空と海の青と、ひまわりの黄色のコントラストのイメージ。長い夏を地味ながら、私なりに楽しもうと思う。
“問題”や“葛藤”“迷い”を抱えつつ、細々とだけどワークを続けている(つまびらかには書けないでいるけど)。
私が問題や葛藤を見ているのは、私がホーリースピリットが導く真の世界と、エゴが主導する偽りの世界の、その両方を手にしようとしているからだと思う。
レッスン128は次のような過激なフレーズで始まる。
「あなたが見ている世界は、あなたに必要なものを何も与えてはくれない。あなたにとって何らかの使い道があるものも、喜びを満たしてくれるものも、この世界には含まれてはいない。このことを信じなさい。」
またこうも。
「この世界であなたが価値を置いている一つひとつのものは、あなたを世界につなぎとめる鎖にすぎず、それ以外の目的には役に立たない。(中略)これ以上、騙されてはいけない。」
「この世界にあなたの望む何かがあると信じたい誘惑に屈してはならない。ここには大切にすべきものは何もない。」
そして、レッスン128では、私たちがこの世に見出している価値やその価値観をすべて手放す練習をする。
そうして幻想の世につながれている心の鎖を解き放つことによって、本来の自分であるホーリースピリットの声に耳を傾ける心のスペースを作る。
「ただその翼を自由にしてやりさえすればよい。そうすれば、それは確信と喜びのうちに飛翔し、自らの聖なる目的につながるだろう。」
ワークをして
この世のものすべてに価値がない、手放せ、…という文言にはやや抵抗を感じてしまう。
これはもちろん、この世の価値観とは真逆だし、物ごころついた頃からずっとこの世で何とか「うまく」生きるために、さまざまな知識を学びノウハウを画策してきたのだから。学歴もそうだろうし、学歴がない私にとっては資格がそうだった。
この資本主義の世の中に溢れている商品やサービスの多くが、これがあればこの世でより「うまく生きて」「豊かに」「幸せに」なれますよ、とモノやサービスを提供している。
そして、みんな自分に足りないと思うものを補うべく、それらのモノやサービスを手に入れようとと頑張っている。
それをちゃぶ台返しのように全否定するこの主題概念…!
私はこの教えが突き詰めれば正しいのだと思っている。けれど、この世にいる私たちに、どこまで手放せ、と言っているのかしら?
「何も価値がない」を真に受けては、家も服も食べ物さえも失うのでは…、という漠然とした不安。これはエゴの不信から来るのかな。
このワークは、ゲンジツの世で生きる私たちに、どこまで要求しているのかな。
これはものの例えで心の中の姿勢だけを言っているのか。
そこまで突き詰めなくても、私には執着したいもの、手放したくないもの、この世で価値があると思いたいものがたくさんある。
そうしたキラキラして尊いものに思えるイミテーションを削いでいって、この世の原理原則からも自由になり、それでもつつましいあたりまえの生活というものが成り立たせられたら。その自信が持てたら。
さぞかし、さっぱりして、ぶれなく在り方が美しくなれるかもしれない、と思う。
アファメーション
ゆっくり手放していこう、剥ぎ取るのではなく。ひとつずつ。置いていこう。