2017-07-06
私のワークブック
いろんなところから中身のページが取れていて、修復もしてない。
2012年のこと、書店でワークブックを買って家に持ち帰り、「これが『奇跡講座』のワークブックか」とうやうやしく表紙を開いた瞬間、目次と「この翻訳について」という前書きの部分がパリッと離れて取れてしまった。
すごくがっかりしたことを覚えている。
私にとって大事な本だし、4,600円と高額だぞ、しっかり作ってくれよ~、と思った。
だけどのちに、これは「神との分離」の象徴かしら?と思うようになった。ACIMがようこそ、とまず私の分離を見せてくれたというわけだ。
そう思うとなんか腑に落ちた。
テキスト編
『奇跡講座』のテキスト編の方は、あまり開いてないので(^_^;)まだきれいだ。
こちらは、買ってまもなく、尊敬する老先生宅に伺った際、「私がはまって勉強している本なんです」と、持っていって見せた。すると先生は「ほほう、どれどれ」と言って、指につばを何度もつけてページをどんどんめくっていった。
私は内心「ぎゃあ~、私もまだ触ってないのに…。つば付けないで」と焦りまくった。「ああ、内容はじっくり読まないと」とかなんとか言って、本を慌てて引っ込めた。
そして、やはりがっかりした。私にとって神聖なる聖域を…(>_<)
でも、またしばらくして、それこそが「起ってないことで、赦しのチャンスだ」と気づいた。
自分にとって大事だといっても、ACIMの本という物に執着するのは間違っている。
それをまっさらなテキストから学んた。
日常のいろんなところに「神との分離」とその取りなしのチャンスが置かれているけど、買ったばかりのワークブックとテキストにもしっかりそれが組み込まれていた。少し懐かしいおはなし。