2017-07-03
フタを開けてみれば…「都民ファーストの会」圧勝
昨日の都議選は蓋をあけてみれば、小池百合子都知事が率いる「都民ファーストの会」が圧勝だった。公示前6議席だったのがなんと55議席も獲得。一方の自民党は告示前の57議席から23議席と半数以下となり、歴史的な大敗と言われている。
選挙前々日、駅前で公明党の候補を応援する小池さんを見かけた。生で見るのは初めて。第一印象は、色が白い、テレビで見るよりお腹周りがだいぶふくよか。声に張りと力がある。
小池さん出現にみんな足を止めて駅前はすごい人だかりになった。そして、小池さんを見上げる皆が好意的だった。その時「小池さんにはまだ“風”があるんだな」と思った。自信から来るのだろうか、オーラというかカリスマ性も感じた。
だけど、こんなに大差がつくとは思っていなかった。流れ、変わる時は変わるもんだ。
昨夜の開票速報で、キャスターの方が「小池さんの風の吹かし方もうまいけど、自民党のこけ方がひどかった」と言っていたけど、ほんとうに。
加計学園問題では直前に下村都連会長の献金疑惑が出たし、稲田防衛大臣の致命的な失言、「このハゲーッ!」でいちやく有名になった豊田真由子議員の秘書への暴言もあった。テレビは五感に訴えるから、暴言音声はかなりのマイナス宣伝になったかも。
小池さんは運がいい人なのかもしれない。
この風がこれからの東京都と都民、私の生活にどう関わってくるだろうか。
政治に関心があるわけではないけれど、人とその人が紡ぐものがたりには興味がある。
小池さんは一部では総理の椅子をめざしているとか言われるけど、そうかな?政治と選挙のゲームの達人は最終ゴールまで行きつくのだろうか。大勢生まれた「小池チルドレン」やがて自民党の「自民党 魔の二回生」と言われる人たちみたいに、話題を提供する時もやってくるかな。
見守っていこうと思う。
レッスン122-赦しは、私が望むすべてを与えてくれる。
昨夜の都議選にはびっくりしたけど、私はともかく自分を生きていかねばならない。自分の心の中がすべてだ。
ACIMワークをやっている時は、穏やかにもなるし豊かな気持ちにもなれるけど、心にはさまざまな葛藤があり生活に余裕はない。
これに対するワークブックのレッスン122は、
「赦しは、私が望むすべてを与えてくれる」
赦すことが、私たちが手に入れたいと努力している、すべてのもの―幸福や静かな心、確かな目的、おもりやり、守られている安心感、やさしさ、慰め―と、それ以上のものを与えてくれる、と説く。
答えはここにある!
赦して、赦されなさい。
…朝と夜15分「地獄の終わりを保証する探索」のワークをする。
ワークをして
赦しが、私たちにすべてのものをもたらすという理屈はわかっているつもりだ。そもそも私たちは神なる性質のすべてをもっている。
それが認識できないのは、エゴが私たちに目くらましにかけ、宇宙のこの世という“バーチャルリアリティゲーム”に誘ったことで、私たちはそちらを本当の世界だと思うようになっているから。
赦すというのは、ゲームの中の自分の視点から、外からゲームを見ている自分の視点へと視座を移すことと同じだろう。
私たちが住んでいるのは、私たちの観念が見せる世界だ。観念にぴったりの現実感を感じさせるしくみがある。1つの判断、結果を赦すことでで、幻想が一つ取り除かれる。そして赦しが完璧になれば、神と私たちを阻んでいた雲が取り払われその向こうに輝いていた太陽の日差しを感じるがごとく、神なる質をすべて自分のうちに感じることができるのだろう。
だから、レッスン122の文言どおり、赦しは私が望むすべてを与えてくれる。
それは頭でわかったつもりでも、なかなか一度では身につかない。徐々に徐々に目覚めていくには、時間という幻想が必要だ。
私の中には、さまざまな観念があって、その中には「○○のための時間がない(足りない)」というのもありそう…。
だから、やるべきことがあってそのための時間があっても、そこになかなか立つことができず、いつも「あれもしなくちゃ、これもしなくっちゃ」と心が上滑りする。
こう、言っているのもエゴなんだろうな。
赦しを学んでいるものの、どこかしら観念的で「わかったつもり」で留まっていて、本当に赦しをベースに生きるところには至っていない。
7月のじかん。大事なじかん。不平、不満、欠如、心配…などに費やさず、赦しと感謝をベースに生きたい。
アファメーション
本来の私には神の記憶がある。私が神の子のかけらだ。