レッスン115-レッスン99、100の復習

2017-06-06

おくればせながらの『アナと雪の女王』

ちょっぴり空気がひんやりして過ごしやすい。昨日は晴れという天気予報に反して夕方から雷雨となった。やっぱり東京は亜熱帯地方になったんだ、と思いながら濡れて帰った。

週末、おくればせながらDVDを借りて『アナと雪の女王』を観た。我ながら、遅っ。2014年3月から日本公開されあんなに話題になったのに観ておらず、先日地上波発とテレビでやっていたのをチラッと見て、いいかも、と借りてみた。

おもしろかった。

なんであんなに女性人気があったのか、わかった気がした。ネットのある解説には主題歌「レット・イット・ゴー」が本来は「流れにまかせて」といった意味なんだけど「ありのままで~」と訳されて松たか子さんが美しい声で歌い、それが「ありのままでいいんだ」と日本女性のこころのツボになって大ヒットした、といったようなことが書かれていた。

たしかに「ありのままで~」というのは耳ざわりのいい言葉だからそうだろう。だけど、いつも弱くて助け出されるような姫ではなく、愛の力で状況を打破できた王女アナに、女性はわが身を投影し自信をつけたのではないかと思った。

もう「私は弱くてだめなの、助けて、お願い」と言わなくてもいい。ありのままの力を認めても、認められてもいい。それは武力や権力ではなく愛の力だ、と解放した。

映画を観た女性はそういうメッセージを受け取ったのでは?だから男性にはイマイチ受けず女性に大人気だったんでは…と。そう思えた。

解釈が古いかな?

しかも、もう3年も前の映画…。ははっ。

レッスン115-レッスン99、100の復習

l99)救済が、ここにいる私の唯一の機能(はたらき)である。

 ここにいる私の機能(はたらき)は、私が犯したすべての誤りについて、世界を赦すことである。そのようにして、全世界とともに、私がそれらの誤りから解放されるからである。

l100)私の役割は神の救済計画に不可欠である

 私は世界を救済するための神の計画に不可欠である。神は、私が世界を救えるようにと、その計画を私に与えたからである。

ワークをして

救済とは、この世の幻想性に対する徹底的な赦し。そして、出会う兄弟姉妹に神の子という真の姿を見て愛すること、だと思う。

レッスン99には、「赦しと救済は同じものである。あなたが自分で作り出したものを赦せば、あなたは救われる。(w99-10-6,7)」とある。

レッスン100には、「あなたの喜びなしでは神の喜びは不完全である。あなたの笑顔なしに世界は救われない。(w100-3-2,3」、

今日私たちは、喜びがここでの自分の機能(はたらき)であることを理解しようと試みる(w100-6-1)」とある。

ならば、究極的には、この世での私のはたらきは、

L99赦すこととL100喜ぶことだ。

そして、救済すれば、救われるのはこの私だ。

 

テレビでは連日ヨーロッパを中心としたテロのニュースが流れてくる。テロがこんなに頻発するなんて…。

これもまた誤解が私に見せる幻影だ。

だけど幻影だから対処しなくていいのか…と罪悪感のようなものを感じる。

だけどそれに感情的にネガティブに反応してしまうのは、その幻想をリアルにしてしまうこと。

じゃあ、心のレベルでゆるすということを、この世のかたちのレベルではどうふるまえばいいのか。そこがまだよくわからない。

 

レッスン100の本文「あなたは今日、神の使者である。あなたは、自分が見るすべての者に神の幸せを運び、あなたを観てその幸せに満ちた顔に神のメッセージを読みとるすべての者に、神の平安を運ぶ。(w100-6-4,5)」というフレーズに反応してノートに書き写した。

今のじぶんは全然ちがうのだけど、

これを人生の目標にしたいからだと思う。

アファメーション

苦しむ必要がある人なんて、この世にいない。