2017-05-29
レッスン111-レッスン91、92の復習
復習Ⅲでは、前述のとおり、1日につき2つのワークを復習する。
特徴的なのは、ワーク時間のしばりが強いことで、できれば朝目覚めてすぐ、それと夜眠りにつく直前の5分をワークに用いる(無理ならば、午前中と、夜寝る前の1時間以内に)とされている。
その際は、「あなたの心がそれらの概念を、あなた必要なことや、問題だと思えることや、あらゆる気がかりなことに、自然に関連づけていくにまかせる。」
また日中のワークでは、起きている間ずっと毎時0分には、2つの復習のうち最初の主題概念を、30分にはあとの方の主題概念を、それぞれ数秒でよいから復習する、とある。
l91)奇跡は光の中で見える。
闇の中では見ることはできない。聖性と真理の光が私の心を明るくし、内なる無垢性を見ることができますように。
l92)奇跡は光の中で見え、光と強さはひとつのものである。
神からの贈り物である強さを通して、私は見る。神から与えられる神の強さが私の弱さと入れ替わり、その贈り物が、私の弱さである闇を消し去ってくれる。
ワークをして
レッスン111のワークをやったのが、5月10日。もうずいぶん前のことだな。
正直なところ、この日のワークがどうだったかほとんど思い出せないけど、メモには、レッスン91の本文からいくつか文言を書きだしている。
「あなたが『自分』だと思っているものは、取り消されるべき信念である。」
「肉体に捧げることをやめた信仰心を今度はどこへ向ければいいのか、その対象を実感する必要がある。」
「(自分についての)真理を体験するよう努める。」
たぶん、ここらが気になったんだと思う。
そして、「このコースは学びのコースだけど、理解というより体験・体感こそが学びなんだと思う」と感想を書いている。
夜の就寝前のワークでも、「頭で理解しようとしていたことを、こらからは体感しよう」とある。
そして、レッスン68の「愛は不満を抱かない。」を引き合いに出して、「この不満には、広い意味で心配や不安、いらいら、後悔など、現状に満足していないことすべてが含まれる、と思う。これらはエゴが見せる幻想だから、こうした感情が起こったら、その都度赦そう。そして、聖霊の世界のことが見える真の視力を得られるよう、重ねよう」と書いていた。
問題は、私の心がついACIMを離れてさまようから、学びも3歩進んで2歩下がるみたいな緩慢なペースで、エッセンスが濃くならないことかな。
進んでいるか後退しているのか、自分ではわからない。
アフメーション
神の子が持ちえないネガティブな感情が起こったら、都度ゆるそう。
(「赦す」をひらがなで書いたら、ちょっとやわらかくていい感じがする。)