復習Ⅲへ

2017-05-26

やはり!?戻ってきたiPad mini

そうそう、先々週故郷に帰省して母にあげたiPad miniは「動かなくなった」ということで、宅急便で私のところに送り返されてきてた。数日そのまま寝かせていたけど、おそるおそる電源を入れてみると、Appleのりんごマークが表示されたあと、一行「iPadは使えません」の表示。

これは私には手に負えない、と購入したお店に持っていったら、、本来は設定していなかったパスワードを母が知らずと設定してしまったのか?…はっきりわからないけど、とにかく初期化するしかないとのこと。

で、買ったときのまっさらな姿になって戻ってきた。原因がイマイチ不明でまたヘンになったら…と思うけど、その時はその時。来月父の3回忌の時に持っていくことになった。

81歳、今度は使いこなせるか。

ワーク、復習Ⅲへ

ワークの方はようやく復習Ⅲへ。このACIMワークは、思い返せば昨2016年5月23日からスタートしている。で、今年の5月23日にはレッスン113までやっていたから、このペースで行くとワークは3年ちょっとかかる計算になる。

このブログ、ワークをやることが目的というより、もっと広く深く多角的にACIMを学ぶきっかけにしたいと思っていたけど、実のところは、ACIMを忘れない、かろうじてつながるためのものになっている気もする。

しかも、読み手を設定してもいない自分の確認だけみたいなもの、こんなもの何になるかとも思う。だけどそれでも自分の中のACIMプロジェクトのお皿を回し続けるという意識づけになるだけでもよしとしている。できれば、もっと頻度高くワーク以外のことを書きたいが。

復習Ⅲにおける「特別な形式」

復習Ⅲは、レッスン91~120の復習。毎日2つずつ復習する。

ただ特別なやり方が示されていて、朝起きた直後の5分と眠りにつく前の5分を2つのワークの復習に捧げる。やりたければもっと長い時間をかけてもよい。

それに加え、起きている時間はずっと毎時0分ぴったりに1つめの主題概念、30分ぴったりに2つめの主題概念を復習する。その時間は「それぞれにほんの数秒かけるだけでよい」とされている。

シンプルといえばシンプルなワークだ。だけど、これがなかなか(^_^;)

この期間は特別な形式に従って練習するので、できるだけ厳密にそれを守ることが特に望ましい」とあるけれど、どれほどの厳密さが求められているのか。

つい時計ばかり気にするようになる。もうそろそろかな、と思って時計を見たら、55分、あと5分後か…と思ってふっと気づくと、もうすでに40分経っていて、とっくに2つも飛ばしている…!

こんなことがしょっちゅうで、ワークになっているんだかいないんだか。誰かと一緒の時はすでに諦めてしまっている。ひとりで外を歩いているときなどは、忘れまいとずっと心の中で主題概念を唱えながら歩くことになる。

これならずっと言っているのだから、0分だって30分だって逃さないだろうと。それでも気づくと注意が他に向かってすっかり忘れて時間が経ってる。我ながら呆れる。

ワークの説明にも「もちろん私たちは、ここで勧められている最良のやり方を、あなたが毎日毎時間、実践できるわけではないことは承知している。

決められた時間に都合がつかず練習できなかったとしても、学びが妨げられることはない。」とある。一方で、「しかし、もしも要請されている時間を練習に捧げるのは嫌だという理由で、あなたが練習を省いてしまうときには、学びが妨げられる。」とクギをさされている。

理由はなんであれ、やりたくなかったので、抜かしてしまった練習は、自分のゴールは練習することだと思い直した時点で、ただちに取り組まなければならない。」とも。

つい何度も抜かしていると、「今日はもういいや」という気になる。「明日は朝からちゃんとやろう」でも、次の日もやっぱり抜かしてしまい「いいや、明日ちゃんと」となり、気づけばフェイドアウトしている。

5月12日にレッスン113で止まってちょうど二週間、今日レッスン114を再開した私がまさにそれだった。

ワーク時間が定められることで精神的負荷がぐっとかかる。無意識でも常にACIMを意識せざるをえなくなって、それに無意識にある抵抗感がぐっと邪魔をするみたいだ。

さっきまで覚えていたのに、ふっと忘れ何時間を経っているというのは不思議だ。私はまだまだACIMを学ぶのには“気合い”が少々必要で、無意識のうちにできるようにはなってないんだなと思う。

他の人はこうしたワークをどれくらいの厳密さでやって、今日はOK、次へ、としているんだろうか。。。