工事という名の営業にプチパニック(^_^;)

2017-05-19

ケーブルテレビの工事…、いや営業?

先月ポストに地域のケーブルテレビから「既存設備双方化改修工事のご案内」というチラシが入っていた。家の中のテレビコンセント(端子)の交換作業だとか。

これはいかなるものか。「下の表からご都合のよい日時をお選びください」とある。「ケーブルテレビには入っていないけれど、必ず受けるべきものなのか。「これを受けなければ他の世帯に支障が出る場合もあります」ともあってなんだか恐い。

よくわからないけれど、希望日時を選んで来てもらうことに。男性2名で来られて、ひとりは作業。もう一人は勢いおく「ご説明させてもらいます」と、インターネットと電話を現在のフレッツ光からケーブルテレビに切り替えるとよい、という話を始めた。

なんだ、交換工事というのはとっかかりで営業だったか、と私。さすが営業の方はトークが上手く「ケーブルテレビの方が現在のフレッツ光より通信速度が速くなります、プロバイダーも必要なくなるから、その分安くなります」と資料を見せながら説明し、すかさず契約書を出して「こちらにサインを、こちらにクレジットカード番号を」と迫ってくる。

安くなるのはありがたいけれど、これまでのメールアドレスが使えなくなるのは困るし…と戸惑っていたら、「たぶんプロバイダーはメールだけ使わせてくれるはず、調べましょう」といったん帰られたが、「工事の認めのサインもありますし、夜9時にもう一度来させてください」と電話がかかってきた。

私はひとり暮らしだし、工事ということでも知らない男性二人が家に入るのに抵抗があったのに、夜にまた来るってー。それにその人がいいと言っても、本当によいかどうか自分でしっかり確認して進めたい、と心の中で黄色信号が点滅した。だいたい工事だと言ってひとんちに入って、すかさず営業攻勢とはずるくないか?

結局、その日は余力もなかったこともあって、夜9時の訪問は断り、翌日故郷に帰省をしたが、東京に戻ってきてから何とかという認めのサインが必要?だとかで再び訪問されることに。

気づけば“戦闘モード”に

そのサービスが本当に自分にとってよいものなのか、それとも必要ないものなのか、その方が訪問するまでに自分なりに調べて心を決めなければ…と、気づけば“戦闘モード”になってた。

その方と戦おうというのではないけれど、専門知識が乏しいことやなんかで、「お客様によいことです」と強引に向こうのペースで契約を押し切られるのは嫌だ。かといって、本当によい安くてよいサービスならば受けたい気もするし…と。

インターネットでケーブルテレビとフレッツ光のメリット、デメリットを調べ、ケーブルテレビのこうした訪問が一部で「点検商法」と警告されているサイトも見た。消費生活センターのサイトに事例もあった。

ケーブルテレビには携帯会社がauなら割引サービスがあるとのことだったので、私のプランならどの程度コストダウンになるのかもauショップで聞いてきた。

いろいろ調べた結果、通信速度は光の方が勝るとの記事があり、ネットが中心の私の場合、フレッツ光のままでよいのかもしれないーと思った。コストダウンは魅力的だけど今すぐ契約しなければならないものではないのでは?何より、工事にかこつけて契約を迫るやり方が気にいらない。

約束の日時、家に上げるのは嫌だったので、マンションの1階で待ち、迷いはあったものの「今回は見合わせます」と営業マンに伝えた。

強引に食い下がるだろうと身構えていたけど、意外にあっさり「そうですか」と引き下がった。前回端子の前に重い家具があって「工事」の一部は未完、「次に家具の中身を出していただいてから改修工事しましょう」という話だったけど、「それじゃあ工事も必要ないです」と。

「工事はタテマエでやっぱり営業が主じゃないか~」と思ったけど、とりあえずはほっとした。

渦中に赦しはむずかし

ここで私が思ったのは、この世は幻想だから、ネガティブな感情が起きたら赦すということは覚えていたけれど、幻想の世であってもその幻想の中で生きている体を持った私たちには判断すべきことが常にあり、その際、聖霊の考え方ではなく、エゴの考え方に傾きがちだということ。

私は、営業マンの強引さに嫌な感じを持って、「甘くみられて強引に向こうのペースで契約させられてなるものか」と一日だけど熱くなってしまった。その人の訪問にキンチョーし前日は夜も寝つけなかった。

彼は私のエゴからの投影なんだろうと思うけど、渦中にいる私にとっては、そんなことを言っている場合じゃない。不本意な契約はしたくないのだ!

今は落ち着き、通信に関する知識を含めいろいろ学ばせてもらったな~と思える。でも、渦中にいるときは、「これを赦すって、どうやることが赦すんだろ?まさかどんな契約でも受けるってことじゃないし」と、訳がわからなくなっていた。

心の中での赦しと、それをこのゲンジツというかたちのレベルでいかにふるまうかが、まだイマイチわからない。

やっぱりその都度、カーッとなって、エゴにまっさかさまに落ち入ってしまう。遠くのことは簡単に赦せたつもりになるけれど、自分の身に降りかかることはこんなささいなことでも動揺してしまうのだ(^_^;)

赦し道 はるか果てまで 先見えず。