5年前の出会いから

2017-05-02

『神の使者』との出会い

世の中はゴールデンウィーク。私はとくに予定なし。

元々暦と関係ないフリーランス。まったく関係ないかといえば、いや、かなり関係あるみたい。街の空気が緩んでいていつもより心にゆとりがある。空いたスペースに何か新しいものが入ってくるだろうか。

ふと、そもそもこの私の『奇跡講座』プロジェクト(たんに自分でそう言っているだけ)は、5年前、2012年の今頃からスタートしたんだったな、と思い出した。

ある調査の仕事を納品し終えて、ほっとひと息。二番目に近い図書館に行った時、ふと目に止まったのが『神の使者』だった。

分厚い本で、意味がわかりにくく難しく感じた。

でも、何か惹かれるところがあったのか。4月29日近所のブックオフで見つけて買ってゴールデンウィーク中ずっと読んでいた。そして5日1日にはAmazonで『奇跡のコース』日本語版を購入。別のブックオフでは『神の使者』の続編となる『不死というあなたの現実』を見つけてゴールデンウィークの後半読みふけっていた。

この年のゴールデンウィークは一言で言って『神の使者』だったのだ。

この“出会い”から実際にワークを開始するまでは1年以上かかった。今も赦しと聖霊の思考システムが身についたわけではないし、この後どこまで続けられるのかもわからない。

振り返ってわかるターニングポイント

それでもこの5年を振り返って思うのは、この1冊の本との出会いは私にとって大きかったな~ということ。

それまでは、人生とは死という終わりまでの間に、各々に与えられた自分らしさを掘り起して自己実現するのがよい生き方なのかな、と思っていた。でも、『神の使者』とACIMによれば、各々の個性が注視されないどころか、個としての自分も、死もないし、私たちが見ているこの世界も実在しない。ただ「God is.(神だけがある)」。

昔の人が、地球が宇宙の中心であると考えていた天動説から、太陽こそが中心であるという地動説を教えられたくらいの、いや、星が動く宇宙それ自体が本当はないというんだから、それ以上のインパクトだ。

なぜ、それが腑に落ちたのか。あるいは腑に落ちたわけではないけど受け入れたいと思ったのかはわからないけど、今もまだ学び続けているということは私にとって大きいことだ。

ターニングポイントというのは後になってみなければ本人にはわからない。5年前のゴールデンウィーク、いつもどおり地味に過ごしていたけど、実は大いなる出会いを経験していたのだ。

この同時期の3日、父が腸閉そくで緊急入院してそこから父との別れのテーマも本格的に始まった。

その意味でも変化時だった。ACIMでは時間もまた幻想だというけれど、5年というひと固まりをぼわんと感じて、やっぱりしみじみしてしまう。

ACIMやその関連本(と自分が位置づけている本)は私をとっても癒してくれた。私の原罪と恐怖を軽くしてくれて幸せになってもいいと請け負ってくれた。前と比べて軸ができたように思うし帰る家ができた。

この5年という幻のくぎりで、この出会いに改めて感謝したい。著者のゲイリー・R・レナードさんにも、もちろんACIMにもJにも、ヘレン・シャックマンさんやビルさん等、翻訳者の方々その他みんなにも。