2017-『神の使者』 再読中

2017-01-14

お正月気分も抜け、東京のまちも日常のせっかち気味なリズムが戻ってきている。

この週末は、日本列島に「この冬一番の最強寒波が到来」しているらしい、冷える。北陸には大雪警報が出ている。私は毛布地のスカート(腰巻)を履き、「逆に、籠って仕事をするにはいい気候かも」とパソコンに向かっている。窓からは澄んだ青空が見える。

もう「お正月」が昔のことのように感じられるけど、去年から今年にかけての年末年始、丸一週間帰省。母と石川県の粟津温泉へ一泊旅行にも出かけた。パートナーや子どもがいない私にとって、肉親への愛(ACIMでは「特別の愛」と言われるものだと思うけど)は、母に向かってしまう。

かと言って、相性がいいというわけではなく、田舎では朝から夜まで一日中、ずっと話しかけてきて質問をしてくる母に、半日もするとヘロヘロになってしまう(ひとり暮らしで人と話すことが極端に少ないから、会話に応えることに3時間位で疲れる)。思考がまとまらず自分の考え事がまったくできなくなる。

この状態を、私は「脳ジャック(ハイジャックの脳版)」と呼んでいる。

東京に戻って脳ジャックの状態を解かれて、だんだん「それまでの自分」を思い出すのが、いつものパターン。こんな不器用なのは私だけなのかもしれない。

例によって、ACIMからも離れてしまい、、、年始に戻った一人の部屋で、「あれ、何だったんだっけ?」「私はだれ?」という始末だ。

いつも、ACIMから離れたと思った際に、戻っていくツールというか、プロセスというか、、、が、私にACIMを紹介してくれた本、『神の使者』だ。

で、今週になって『神の使者』の何度目かの再読を始めている。分厚い本なので最後まで読み終わらないこともあるけれども、この本を読んで感覚を思い出してワークに戻っていくのが常だ。私とACIMをつないでくれる存在なのだ。

まだ、アーテンとパーサの3回目の訪問のところを読んでいるところだけれど、ようやく、またワークを再開できそうな位に、自分と環境が整ってきた。本当は、どこにいて、どんな環境であろうとも、ワークができる自分になることが課題なんだろうと思う。

去年のメモを見て、2016年5月23日にワークブックをレッスン1から再スタートしたこと、12月16日レッスン79までやったことを思い出した。

時間と心にゆとりがある時しか、ACIMの勉強ができていないことに、「私にとって使命に近い大事なことと思っていたつもりだけど、単に趣味みたいなものなのかな」と、自虐気味に感じたりもした。

まあ、ともかく止めて離れてしまわないようにだけはしたい。

今年は、負荷がかかってもACIMのワークと勉強をこつこつと続けられるようにしたい。しよう。