レッスン75-光は訪れている。

2016-11-23

朝の地震

昨日朝5時59分、福島県沖で大きな地震があった。私もふとんからガッと飛び起きた。

やはり思い出すのは5年前の東日本大震災のこと。東京でもかなりの揺れを感じたのだから、福島県や近県の方はさぞかし怖かったことだろうと思う。

ケガをされた方もいたようだけど、津波警報も解除されて大きな被害がなかったこと、よかったと思う。一方で、いつどこで災害が起こるかわからない日本に住んでいるんだ、と改めて感じさせられた。

じつは、二週間前の10日、仕事をいただいている方のオフィスに打ち合わせに伺った際に、その方が「最近、パソコン初め身の回りの電子機器が不穏な動きをして調子わるい、おそらく地磁場の乱れでしょう」とおっしゃていた。

え、単なる故障とかではなくってー?

「いろんな機器が連動してヘンですからね。調べてみたら、23日あたり地震があるそうですよ、ネットでうわさです。電子機器の乱れはおそらくそのせいでしょう。たまさんも気をつけて」と言う。

まさか…とは思っていたけど、これは、そのネットの「予言」が当たったんだろうか。

朝、ぐらりとする揺れにガッと起きた時には、ありゃ~、当たったの~!?と、平時にはないアラームが頭に鳴った気がした。

『神の使者』には、地震もまた、神からの分離の象徴として私たちが見ている現象だと書いてあった(ように記憶している)。けど、やはりだからと言って、平静ではいられない。

あたりまえだけど、そんなことは起ってほしくない。あの悲しみ、絶望、嘆き、怒りを赦すことはなかなかむずかしい。

レッスン75―光は訪れている。

ようやくレッスン75。

私たちの赦しが見せてくれる世界を見つめるというワークだ。

光は訪れている。私は世界を赦した。

こう唱えながら、真の心眼(ヴィジョン)によって見ることができる世界を待つ。

今、あなたは世界をこれまでに見たことのないものとして眺めることができる。それがどのように見えるのか、あなたはまだ知らない。ただそれが見えてくるのを待つだけである。」とある。

私は、どうもこのワークが苦手だった。

「光」で見える世界というのが、どうもわからないから。

3年前もわからなかったし、今回もそう。何度かこのワークをやったけど、今まで見たこともないような見え方はしなかった。

で、私はだめだな、このワーク苦手だな、と思っていたのだけど、レッスン75は、今できることではなくて、赦しを完璧に実践できたら見ることができるものなのだ、可能性を示唆しているのだ、と捉えることにしたら、少し楽になった。

そして、ワーク中に今週末、急遽東京に来ることになった母のことを思い、ふと、こうして穏やかに母娘で旅ができるようになったゲンジツは、

あるいは「私が世界を赦した」結果なのかもしれない、と思った。

母とのこころの旅

大昔、子どもの頃、非常に怖くて暴力的だった母に対して、「大人になって力をつけたら、ぜったい“仕返し”してやる」と誓ったことがある。

なんて幼稚な考えなんだろう、と今は思う。

大人になって20年位経ってから、ようやく反抗心がなくなった。カウンセリングを勉強したり、アートセラピーやカラーセラピーに癒しを求めたりしながら、親子関係を見つめて、自分を見て、気づいて。

それは長い旅だった。

そして近年は少しずつACIMの赦しを実践している。

もちろん完璧に光が得られているわけではないけど、立ちこめていた雲の合間から薄日が差すように、私にも光が届いているのかもしれない、と思った。

ほんの少しずつだけど、私は変わってきているんだろう。

反抗心が消えた今、赦し手放すべきは、母への執着心の方だ。これはまだまだみたいだ。

母子関係は人間関係の基本だから、初っ端からつまづいたことで、ずいぶん人生遠回りした、と思うけど、これもまた自作のシナリオ…

今日は、過去にこだわり続けるのはやめなさい」とレッスン75は言う。

そう、今ここ、なんだよな。

光は訪れている。私は世界を赦した。

光は訪れている。私は世界を赦した。

光は訪れている。私は世界を赦した。

この言葉を忘れないでいたい。