2016-07-26
レッスン43-God is my Source. I cannot see apart from Him.
日曜と昨日、このワークをやったけど、日曜は久しぶりに友人宅でお酒をいただいたので、夜寝る前の一回がふにゃふちゃになった。最近外でお酒を飲む機会がめっきり減っているためか、ほろ酔い気分で夏風に吹かれて歩くのが心地よかった。
昨日は朝、昼、夜と3回のワークができた。
ワークブックの説明に書いてある内容がだんだんむずかしくなってくる。
私たちがエゴの視点で感じることができているのは知覚だが、それは神の領域にはない。それを神、聖霊のものである智識に修正しようというのが、ワークである。それを「あの手この手」で訓練する。極めておおざっぱなイメージでいうと、ACIMのワークブックは「視覚矯正トレーニング」みたいなものか…。
「知覚は智識につながるところまで、変化し、浄化される。それが、聖霊が見ている知覚の機能である」とある。そして「癒された知覚は、神の子が兄弟を赦し、それによって自分自身を赦すための手段となる」。このあたりはACIMの核心部分である。
私たちは「神から離れて存在することはできないのだから、神から離れて真に見ることはできない」。すなわち、私たちは今、真に見ることができていない、でもワークブックの訓練と聖霊の導きによって、だれしもが真に見ることが可能である。これによって神から離れてしまったという最初の「勘違い」に私たちのすべてが気づき、現世のホラー映画館を後にできる。
私は、ACIMの抽象的解釈についてはわかったようなわからないような…、である。
アーテンのアドバイスーワークブックの進め方
ゲイリーさんの第3作目「愛は誰も忘れていない」を読み終えた。Amazonのレビューで「奇跡のコースそのものからどんどんとずれていっている気がするのは、気のせいなのか?」とどなたかが言っておられたが「ふむ、確かに」と思った一方、個人的には学習を深めるのに役立つ内容だった。
ワークブックの進め方の留意点としてアーテンが「1つのレッスンに2、3日かけてもいいし、数日休んだっていい。そんなに気にしなくていいさ」(p253)と言っていた。それが気を楽にしてくれた。
「『ワークブック』をやる際、多くの人がしてしまうことだが、中断しても、また最初からやり直さないように。きちんとやれてないと思ってしまうようだが、こうやるべきと思うやり方で『ワークブック』をやり通せる人などいないんだ。」「ただできるかぎり最善を尽くせばいい」というのも、「完璧主義」傾向のある私にはとてもよかった。いつもちゃんとできているかなんか宙ぶらりんな感じだったから。
また、私は内向的で内にこもってマイペースでやるタイプだけど、本の中でゲイリーさんがハワイでワークショップやセミナーを行っているという記述があって、「ハワイだったら頑張って行けるかも!」と思った。それが私にとっては、一つ収穫。
ゲイリーさんのウェブサイトとかで見ればすぐわかることなんだろうけど、自分から調べる気もしていなかった。「英語を勉強して、ハワイのワークショップに参加して…」とふとイメージできた。まあ、いつのことになるかわからないけど。
世間では7月22日日本でも配信になったポケモンGOの話題でもちきりだ。ポケモンにもゲームにもたいして興味ないけど、国民をあげてやっているのかな?と思うと、気になるよ。私もやるべきなのか…