2016-07-23
ああ「クイズダービー」のあっぱれ!
昨夜、中居正広さんが司会の「金スマ」で、大橋巨泉さんの「クイズダービー」を目にした。
2014年12月に巨泉さんが同番組に出演なさった際、一夜限りの「クイズダービー」復活として放送したもので、それをまた追悼番組として再放送したものだ。当時の回答者だった竹下恵子さんや北野大さんらもいた。当時82歳。3度目のがん闘病中で、奥様の寿々子さんに付き添われての登場。「だいじょうぶかいな」と思って見入ってしまった。
でも、司会を始めると、当時そのままのテンポと存在感で、つい追悼番組だということを忘れ、純粋にクイズ番組として楽しんでしまった。番組中で、司会の中居くんのことはもちろん、北野武さんのことやタモリさんのことも、「中居」「タケシ」「タモリ」と呼び捨てにして、それがまたしっくり来る。会話がウィットに富んでいる。
番組を終えた後、奥様に「当時のテンポを出せるか不安だったけど、まだやれるな」と言っておられたそう。
昨日の番組を見て、というわけではないが、一昨日のダイアリーで、大橋巨泉さんらの「成功者」の死が「オセロゲームの終盤の大逆転の負けのように見えてしまう」といったのは、なんと不遜なことだろう、と思った。
私の見方が「生と死」「成功と失敗」「勝ち負け」といった二元論的なのはそうだし、その中でも、3度にわたるがんの闘病生活がただ私が捉えたようにただ「辛くしんどいもの」「敗北感のあるもの」と、ご本人が思っていたかどうかは、実際のところわからない。
最期まで寿々子さんに寄り添われゆっくりと幸福な時間を重ねておられたかもしれないし、高齢者として世の中を俯瞰して見られるポジションとなり人生や社会に様々な気づきのようなものもあったかもしれない。私が勝手にその幸不幸を自分のモノサシで計っていただけなんだ。そして、そのモノサシはACIMを人生の指針としようと決意しているはずなのに、まだまだ二元論的なのだ。
レッスン42-神が私の強さである。心眼は神からの贈り物である。
昨日はレッスン42をやりました。
これには非常に強い2つのメッセージが入っている。
God is my strength. (神が私の強さである)
「あなたに力を与えるのは、あなた自身の強さではなく、神の強さである」
Vision is His gift. (心眼(ヴィジョン)は神からの贈り物である)
「そして、あなたに心眼(ヴィジョン)を提供するのは、あなた自身の贈り物ではなく、神からの贈り物である」
そして、「神が与えるものは、真に与えられている」
したがって、私たちにはすでに神の心眼(ヴィジョン)が与えられている、というのが、今日の中心メッセージであり、すでに与えられている心眼をしっかり自分のものとするための訓練が今日のワークだ。
私は、実はまだ心眼というものがぼんやりとしかわからない。2012年からワークを始めテキストも教師のためのマニュアル読んだけど、これが心眼、というものがわかっていない。
だから二周目のワークで少しでも感覚(感覚なのか?)がつかめたらいいなと思っている。
レッスン42の短い瞑想ワークをしている最中、ふと
「私は神様に帰依します」という思いが湧いてきて、心の中で言った。
…と同時に、不安感が襲ってきた。
そんなこと言ったら、(神様に)何かを取り上げられてしまうのでは?どんな犠牲を強いられてしまうのか?と。
「この世は幻想なのだから、幻想のシナリオで奪われるなど平気ではないか?」と神様に言われ、「それは困る」と懇願する。
こういうイメージが瞬時によぎった。
もちろんエゴの見方だ。でも今、私がいるのは、こういうところなんだな~
エゴの解体を進めるのがワークのトレーニングだと思うけど、こうして私たちが日常的に使っている「言葉」自体が、エゴシステムの上に乗っかっているような気もする。
エゴは、少しずつ玉ねぎの皮をむくように、小さくなっていくものなんだろうか。私は2、3年前よりは、エゴが小さくなってきているんだろうか。単に頭でっかちになっていやしないかな?