レッスン40-私は神の子として祝福されている

2016-07-19

セミナーのしごと終わった~

梅雨明けはまだだというけれど、暑い。この暑さは、まぎれもなく夏のそれだ。

ずっと気がかりで不安だったセミナーの仕事、土曜日、なんとか無事に終えられた。6月の時よりは主催者の方、受講者さんとも反応がよかったようで、ほっとした。。

前の日は、準備とキンチョーでほとんど眠られなかった。終わって会場から出ると猛暑。水分不足のためか右ふくらはぎはこむら返りに。集中力が切れたため、足を引きずりながらよれよれになって、知人のグループ展に顔を出し数分だけいて、帰った。

次の日はキンチョーの揺り戻しが来て、ぼぅーとしてしまい動けなかった。年に数回とはいえもうこのセミナーの仕事7年目に入るのに、毎度毎度、この大騒ぎ、そもそも向いてないことをしているのかもしれない。でも、まあ、なんとか終えられてよかった。感謝。

レッスン40-私は神の子として祝福されている

ぼぅーっとしていた17日(日)、レッスン40をやった。

「私は神の子として祝福されている」これを一日約10分置きに唱えるというもの。14日も15日もやってはいたけど、イマイチやりきれていなかったので、もう一回やった。

何かしているとすぐ忘れてしまうが、ワークブックには「もし忘れたら、再び試みればよい」と書かれている。私は“邪道”なのかもしれないけど、iphonタイマーを10分にセットしてやった。気づいて5、6分しか経ってなくても、タイマーをリセットしてまた10分セットしてやったから、慌ただしいことこの上ない。お風呂に入る時はさすがにタイマーを止めたけど。

でもおかげで、ふとした瞬間にこのフレーズが頭をよぎるから、浸透効果はあったようだ。

このレッスンの原文は、

I am blessed as a Son of God.

短いフレーズだから、日本語と英語、交互に唱えたりしていた。ACIMに総じて言えることだが、すべて「男性形」で書かれている。これが、女子にはけっこう引っかかるところ。前は「Son」を「Daughter」や「Child」と言い換えて言っていたけど、「引っかかっるところがあるということは、そこに赦すべき何かがあるということだ」という記述が『神の使者』にあり、今回はあまり気にしないようにして進めた。

ゲイリーの新著『愛は誰も忘れていない』

この前『神の使者』をAmazonで検索した際、ゲイリー・R・レナードさんの新著が出ていることを知った。6月22日発刊。私としたことが、あやうく見逃すとこだった。で、自らの“充電”もできた日曜の夕方、池袋の書店に買いに行った。最近、本と言えばAmazonマーケットプレイスで中古本を買うことが多く、新しい本を買いに行くというだけでウキウキする。それが、もっとも愛読している『神の使者』の著者ゲイリー・R・レナードさんの新著なら、なおさらだ。

だが、Amazonのレビューには「奇跡のコースそのものからどんどんとずれていっている気がするのは、気のせいなのか?」との記述があり、ちょびっと気にはなった(私は『奇跡講座』以上に『神の使者』から学んでいて心の支えにしているところがあるから、それが揺らぐのが怖い部分がある)。ともかく買ってきた。

そして昨日、がまんしていたクーラーを解禁にして、ミニストップの黒蜜きなこハロハロを食べながら、読み始めた。

まず、ゲイリーが奥さんのカレンさんと離婚していたのが、びっくり。前作、前々作より内容が刺激的になっているような気がする。ゲイリーさん自身が、「成功」によって変わってきているのかもしれない。

何年も待ちに待った新作、一気に読んでしまうのは「もったいない」。でも、「読んでしまいたい」。

こういうのは、稀にみる「心地よい葛藤」なのかもしれない。

夕方、買物に行った際、ついポテトチップスに手を出してしまい、夜は発泡酒にポテトチップスを食べながら、ゆっくり読み進めた。久しぶりのポテチの方は止まらず、一袋一気に食べてしまった。

甘いものと脂分、歯医者さんに止められたよくないものを一気に許した一日。こもりっきりの一日だったけど、私には極楽だった。