日々のこと・きもち

引っ越して気づいた、新居の特徴と自分の恐怖処

2018-07-04

風の影響大の家

引っ越しして気づいたこと。

風が強い。強風を通り越して、ヒューヒュー、ビュービュー高い音を立てて台風かのように吹きつけている。

玄関ドアは強風に叩きつけられて、ドスンドスンと音がする。

「強風注意報」が出ていたみたいだし、関東や、東京全部のことかな?

でも旧居ではおそらくこんなにビュービュー派手な音は出ないだろう。新居の特徴かしらん?

立地的にビル風みたいなのが発生しやすいのかな?

ベランダ履きは、引っ越して一週間で三度飛ばされた。一度目は片っぽ。二度目は、残った片いっぽう。そして、新しく買ったのも、まもなく飛んでった。

どこに行ったかな?だれかに当たったりしてないといいけど。

今晩はあまりの強風に観念して、ベランダの観葉植物の鉢4つを部屋に入れた。

スリッパくらいはいいけど、観葉植物が飛んでいって何かを壊したり、誰かにケガさせては大変。観葉植物は何度も倒れて、葉っぱも茎もすでにぼろぼろ。もっと早く入れるべきだった。

発見、風が怖い私

風…。こわい(>_<)

一人でいる部屋の外で、ビュービュー、ヒューヒューいう音を聞くと、ドキドキしてしまう。身を縮めるだけで自分ではどうにもならないことに、イライラもしてくる。

風にこんなに恐怖を感じたのは初めてだ。

慣れるかな、と思ったけど、今のところ慣れてない。

「風通しがいいお部屋」とは聞いていたけど、ここまでとは(・・;)

そして、ネットで思わず「強風の音 怖い」と検索してみた。私と同じように訴えている人が何人もいて、「そうか、同じような人もいるか」とちょっぴり安心した。

中には「友人が、たまたま催眠療法で過去世を見た時に、昔スペインで強風にあおられて崖のようなところから転落して死んだ人生を思い出した、それからひどい恐怖感はなくなったそう、ご参考までに」というエピソードを紹介している方もいた。

「二重の視覚」!?

私も、強風がトラウマになった過去世でもあるのか…

さもありなん

あ、でも、私は、奇跡講座の学習者の端くれだった。

これは、リアルではないはず。さっきたまたま、トベさんのサイトで見た「二重の視覚」という見方を応用してみることができるかも、と思った。

「二重の視覚」を説明できるくらいちゃんとは理解できていないけれど、「風、怖い」と思う一方で、「私はいま"真の自己ではないほうの私"の風への怯えをケアしている」と見てみよう。

風への恐れも、突き詰めれば、分離してしまったと思っている神への恐れの象徴なんだろう。

恐怖を思い出すスイッチが、私の場合、強風の音だったとは…。

この歳で新しい自分を、また知った。

引っ越し完了。ようやくインターネットに接続♪

2018-07-03

引っ越し完了、ようやくインターネット接続工事

気づけば、ずいぶん離れていた。ブログからも、パソコンからも、奇跡講座からも!

引っ越し前webサイトから申し込んだはずのインターネットの接続工事が、どこか不備があったか?申込み完了となっておらず、それに気づいて改めて申し込んだので、開通工事日が昨日になってしまった。

パソコンから離れるというのは、めったにないことだったけど、やることはたくさんあったから、非日常モードで毎日過ごしていた。

6月15日に新居へ引っ越し。21日の引き渡し契約時には共有者である母が上京、三泊して東京観光をして帰った。

パワー不足気味の私にとっては、引っ越し、引き渡しとそのための掃除や修繕と、母の上京、それぞれがビッグイベントだった。

たがが外れて!?ぎっくり腰

引っ越し時は大丈夫だったのに、母が上京して一日目にぎっくり腰になった。いつもは三日くらいで痛みが治まるのに、今回は治りが悪い。今も整骨院通いだ。

母は「たがが外れたいわ。心と体と両方の意味で」と言い、今どきの人は「たがって言ってもわからんかな」と加えた。(今どきの人はどうかわからないけど、そうじゃない私は、わかる。)

たがが外れる  外側から締め付けて形を維持しているものがなくなり、それまでの秩序が失われること。 緊張を解いて羽目を外すこと。 もともと「箍(たが)」は桶の枠組みを固定していた輪を指す語。(日本語表現辞典、Weblio辞書)

なるほど。たしかにそうだ。

旧居の掃除と修繕が間に合うか気がかりで、また細かいことが気になる母が新居に泊ることも、私にとっては緊張度Maxで、母と会って二日目浅草に泊った時に気が抜けたのだと思う。

瞑想ワークをしていた時に、たびたび姿勢を良くすること、体幹を鍛えること…と、メッセージのようなものを感じていた。それがどこから来るものかはさておき、その内容にはまちがいがない。

やっぱり私は腹筋、背筋も脆弱で姿勢も良くないから、腰に歪みや負担があるんだな~と実感した。この新天地(大げさ!)では体幹強化と体力増進に取り組みたい。

断捨離…新しいものが入る余地ができた気分

ともあれ、引っ越しできた。新居にはまだ慣れないけど、気に入っている。

何より、ほんの少しだけど古いものを手放す機会になり、新しいものが入る余地ができた気がする。

引っ越ししてから、ふと自分の気分が20代後半頃の自分になっている瞬間がある。新たな環境が、眠っていた若DNAみたいなものを起こすのかな?

実際には50代後半だけど!!

奇跡講座、ずいぶん離れちゃったから、また私にとっての原点ともいえる『神の使者』を読んで、そこから入りたい。

こんなに離れていても平気だったということは、私にとってさほど大事でもないのかな、と思ったりもする。よくわからない。

新しいものが入る余地ができたように感じた、その余地に、これから何が入るのだろう?

母が帰って、荷物も9割方片付いて、インターネットにもつながって、ようやく、今ここの日常生活が始まる感じ。

心もとなく、こわい。人と比べても意味ないけど、あまりに幼稚だとも思う。

ともかく、少しずつ慣れていこう。

引っ越し前日

2018-06-14

荷づくり、今夜がんばるど

ご近所さんへの挨拶、キンチョーしていたけど、案ずるより産むが安しだった。最初のお宅で、寂しくなるわね~、とあれやこれや1時間も立ち話になり、私も感慨深かった。

しかし、引っ越し前夜だというのにー、

未だ、荷物がまとめられてない(>_<)

あ゛~、今夜、これから頑張らなくっちゃ、

流し台のコンロ下奥には、手づくりで漢方酒を漬けていたはずだけど、あれはどうなっているだろう?捨てようか、そのまま持っていこうか。

悪くなるものではないけど、もう怖くて飲めない。やっぱり捨てていくか。

壁紙職人さん、ありがとう!

新居は、居間だけ壁紙の張り替えのプチリフォームをした。

当日、照明器具やカーテンやカーペットなど、3つの業者から届くことになっており、職人さんに受け取りのお願いをした。翌日来た時には、受け取りだけでなく照明の取りつけ(3ヶ所)も済ましてくれていた!

私が一人でやっていたら、半日かかっただろう。ありがたかった。

その付け方が、私の想定とまるっきり違っていたのには、笑ってしまった。

そうだよね、普通はそっちだよね。

1LDKの間取りで、1のほうは寝室と思われたのだろう、比較的ムーディなやつが付けられていた。

そっちは仕事部屋で、シンプルなやつで…と言ったら、瞬く間にチェンジしてくれた。

壁紙がきれいになり、カーテンと照明、カーペットを敷いたら、一気に住まいらしくなった。

夕飯はお赤飯

さっきは、新居へおせんべいの手土産を買いにいった。

引っ越しだと言ったら、

和菓子屋のおじいさんもまた「寂しくなるね、寂しくなるね」といって、赤飯、大福、プチぜんざいのおまけをくれた。

いや、そーんなに遠くに行くわけではなんです。

日持ちがしないものをくれたのかな?

疲れているから、甘いもの、うれしい。

食器も鍋も段ボールの今、お赤飯がいただけるのもありがたい。

段取りが悪くて、インターネット接続業者さんがなかなか決められず、結局前日の申込みとなってしまった。

しばらく、接続できないのかな。

やっぱり引っ越しって、パワーが要るな。

でも、最強の断捨離手段ではあるな。

収納問題…「過去もの」をどれだけ手放せるか

2018-06-09

収納問題で荷づくり進まず

来週は引っ越しだというのに、まだひとつも荷づくりができていない。

まずは新居の家具などレイアウトを決めて、ものの行き先を決めてから…と考えていたが、その行き先が圧倒的に足りなくて進まない。収納力は今の家の半分~1/3くらいかと思っていたけど、1/4くらいかあるいはもっと少ない。

逆に言えば今の家は昔の作りだから、収納力に優れていたのだと気づいた。別れる時になって良さに気づく。これも、恋愛と不動産の似ているところか。

まずは持っているものを出して…と、手づかずだった押入れを見てみたら、おそらく他の人が取っておいてはいないだろう「過去もの」がたくさん出てきた。

結婚式と新婚旅行のアルバム(1年で離婚した)。むかーし1ヶ月で辞めてしまった三年日記。美術館やイベントなどのスクラップブック。仕事の成果物の表紙…。

ふぁ…。

こんなものまで、というのが古漬けみたいになっている。

「新居収納足りない問題」を祈りの祭壇に捧げた。

すると、降りてきた答えはひとこと。

捨てる

お~!要はそんな簡単なことだったか。

ん?

いや。簡単ではない。

ぜんぶは無理だ。手放したくない。

なにを?

自問してみる。

…若かった自分。未来に向けてチャレンジしていた自分…のイメージかな?

と答えが浮かぶ。

だったら、今、若々しくしてチャレンジしてみたら…と、このブログを書きながら、思った。

私が執着しているのは?

私はほんとうは、何に執着しているのか。

やはり自分は肉体だと思っていて、その価値が高い「若さ」というものにも執着しているのかもしれない。

かもしれない、というより、めちゃくちゃ、そうだ(>_<)

お金が潤沢だったら、高額美容に走ってそうだ。

でも幸いに、そうでないから、今年もウコンを育てウコン葉化粧水を手づくりするのだ。おカネがなくともそれなりに(^_^;)

だから、何の愛想もないウコンの鉢植えも、もちろん持っていく。

肉体への執着、若さへの執着がどうも私の鬼門だ(言葉の使い方が合っているかわからん)。もちろんこれだけではないけれど。

あ~、今日は現マンションの方々へ引越しのご挨拶に伺う予定。皆さん、すでに知っておられるのか、それとも寝耳に水、なのか。ちょっとキンチョーする。

引っ越しもまた赦しのレッスン?

2018-06-02

やっぱり健康がいい

昨日ポストに病院から郵便が届いていた。私は検査をしたことさえ忘れていたが、バセドー氏病の疑い血液検査の結果を知らせると言われていたことを思い出した。

封を開く時はちょっぴりドキドキした。

結果は「陰性」=とくに問題なし。

正直、ほっとした。

病気を増やしたくはない。健康でも、そうでなくても体は幻想のだと言われるが、それでもやっぱり健康がいい。

引き渡しを受け、新居の準備

引っ越しPのほうは、新居の月曜日に引き渡しを受けてから、俄然慌ただしくなってきた。

受け取った鍵で初めてひとりで見に行ったら、あら不思議。

購入を検討している時には、ただ日当たりよく風通しよく、OK!すばらしい!と思っていた室内がまったくちがった風に見えてきた。

壁紙の汚れやレンジフード、エアコンの汚れなど、老朽化したところや汚れが目につく。とても汚れている。

自分のものと思う前は、よいところばかり見えて、自分のものとなったとたん粗が見えるというのは、いったいどういう知覚の変化なんだろう。

恋愛や結婚もそうかな?こちらのほうは、私には語る資格なし、だけど。

ともかく入居前に、そうじしなくっちゃ!あとリビングの壁紙くらいは新しくしたい。だれに頼めばいいのかな?いくらくらいかかる?

また、照明器具やカーテンがないこと、洗面台がないこと(売主さんが持っていかれた)など、必要なものが浮かんだ。フローリングって生まれて初めてだ。なんか敷くものも要るかな。

これらは未来に向けて「楽しいこと」に入るのだけど、ここ何年も心のエネルギー不足気味な私にとっては、決めるということにひとつひとつ気合いが要った。

断捨離を邪魔する過去への執着心

その前に旧居の断捨離があった。

新居は押入れがなく収納が半分になるし、壁がとっても少なく本棚や収納家具の置ける場所が少ない。

3月に5本あった本棚のうち1本を分解して粗大ゴミに出した。今週、本棚をもう1本解体して粗大ゴミに出した。

本が溢れてしまった。これらを新居のどこに収納しよう?

いま、ここから、必要なものだけ持っていけ、と言われたら、必要なのは奇跡講座関連の本と、『アナスタシア』シリーズなどの何冊かの気に入った本をすぐに選べる。

だけど、ここにあるものから、どれかを捨てなさい、と言われたら、なかなか捨てられない。

必要な本はわかっている。だからそれ以外はいま必要ではないのかもしれないけれど、なかなか踏ん切りがつかない。

それでもブックオフに何往復かした。(たくさんあるのだから、段ボールに詰めて取りに来てもらえば効率的なのに、少しずつでないと処分ができず、重い物を紙袋に詰めて手を痛くしながら売りに行った。)

本は40冊くらい持っていっても500円にもならないけど、捨てるより手放しやすい。

私にとってとくに処分しづらいのは、自分が昔書いた仕事のノートや人からもらったはがきや手紙だということに気づいた。写真もそうだ。

こういうものは、お金では買えないものだ。自分の過去が投影されている。私はどうもそういうものに執着が強いみたいだ。本が捨てづらいのもおそらく、過去の自分が入っているからだ(本に自分を投影するタイプ?)。

引っ越しもまた赦しのレッスン?

引っ越しというのは、手間がかかるから「細かいことなんか、こだわっとれん」と大胆になれるし、過去でいっぱいになった自分の容量を空けるにはとってもいいチャンスだと思う。

それでも、まだまだ執着心がある。

いずれは、何一つ持たずに旅立たねばならないというのに…

手放す=赦す

今やっているのは、私なりの赦しのレッスンなのかなと思う。

ダイニングテーブルの「第二の人生」と、あるうらやましさ

2018-05-22

ジモティでテーブル売る

先週末、地元の掲示板ジモティーで売れたダイニングテーブル、買主さんが引き取りに来られた。

ダイニングテーブルといっても、一度も食事に使ったことはない、もっぱら応接用(といってもお客もめったにないが)。なので、10年以上使っていたわりにはきれい。1,200円也。

どんな方が買主さんなのか、男性なのか女性なのか…、テーブルという大きなものだから、自宅に買主さんを招き入れねばならず、キンチョーした。

フタを開けてみたら、買主さんは女性で、だんな様が運転する車で来られた。商品を確認してもらい、分解して無事納品。聞けば、隣県千葉県からお越しになったとのこと。ちょっとした休日のドライブだったかもしれない。

真ん中にあったダイニングテーブルがなくなって、部屋は急にがらんと広くなった気がした。

取引後の評価欄に、「無事組み立てました。快適に使用しています。」とあって、ほっとした。

生まれた子猫でも引き取ってもらった気分だ。

業者さんに引き取ってもらうのもアリだけど、顔の見える方にもらってもらうと、テーブルの「第2の人生」が見える。

いい家族の一員になれて、よかったな。

夫に使役動詞を使う妻族に羨望

ジモティでの取引は二回目。前は、私が購入者側だったが、車で商品を届けていただいた。

その二度とも、私との会話で投稿者の女性が「夫にやらせます」「夫に運ばせますね」とだんな様に使役動詞を使っていた。

それを聞いて、いいなぁ(うらやましい)と思った。仕事は別として、プライベートでそういう言葉をさらっと使えるのは、やっぱり身内だよな~。

その夫はいそいそと妻の言うとおりに動いている。

週末に夫婦で、中古家具を取りに来るなんて、仲いい証拠だ。

「私はこのテーブル、一人で組み立ててひっくり返すの結構手間取ったなぁ」などと買った当時を思い出し、いつもは一人が気楽、と思っているけど、使役形で男性を使う妻という女族がうらやましくなってしまった。

かといって、それを受けて、どうしたいは、ないんだけど。

ひとつ、ジモティを使って取引を完結できた、ということが、ささやかな出来事ではあるけれど、小さな自信になった。

西城秀樹さん逝く…かー昭和がまた遠くなった

2018-05-20

昭和の大アイドルだった西城秀樹

16日西城秀樹さん逝く、というニュースが駆け巡った。

言うまでもない、昭和のアイドルであり大スターだ。63歳だったという。

テレビでは西城さんの若かりし映像をたくさん流していた。

アニメ『ちびまる子ちゃん』のなかではまる子のお姉ちゃんがヒデキのファンだが、私はちょうどお姉ちゃんと同世代。

今よりずっと歌番組が多かったし、アイドルは今より距離が遠い憧れの存在だった。田舎の中学でも、女子の間ではいつも、ひろみ、ヒデキ、ゴローの「新御三家」の話で盛り上がっていた。

中でも西城さんは、情熱と活力に溢れ、ほんとうにパワフルだった。映像を見ながら遠い昔のことなのに、ふっとこの前のことのように思い出した。

西城さんはここ10年位は病気とそれに立ち向かう姿が取り上げられていた。

昭和がまた遠くなったー年取ったんだ、私。

この世で変化は必然だ。

姿かたちあるもので変わらないものはない。

古いものが去って、新しいものが現れる。

新しいものが現れ、古いものはやがて去る。

そして、それらすべては、そもそも幻想だ。

そうなんだけど。

この幻想の昭和の時代に育った身としては、やっぱり寂しい気持ちになる。昭和がまた遠くなった。

自分がいる世の中がどんどん馴染み薄いものになっていく感覚。

新しく現れるものに付いていかなきゃならないけど、付いていけず置いていかれる感。

未来に夢を実現しよう、というフレーズに、首筋がすっとする。

高齢の方は、私以上にそういった感覚を感じているのかもしれない。

一言でいうと、年取ったんだな。

子どもがいない私は、自分の子どもを通して未来を見るという経験がない分、過去に引きずられているのか。

今週は、『サンデーモーニング』の締めのコメンテーターをなさっていた岸井成格(しげただ)さんや、浅丘雪路さんの訃報も入り、ジブリ映画の監督、高畑勲さんの「お別れの会」のニュースもやっていた。偉大で影響力があった方々だ。

年上の方がいてくれて活躍してくれることで、心強い気がしていた。

寂しさは未熟さか

別れに寂しさを感じる。これも、神との分離という誤解を、この世に見ているのだろう。

私がもっとACIMを身につけることができたら、寂しさという感情も減るのかな。

この世の、それぞれの人も、神の子を分離したものとして見ているものだ。

それでも、この世のひとりひとり、個性と思えるものが、私は好きだ。その人と、その人生と思える、その織り成していくように見えるものに惹かれる。

私は私という幻想を通してこの世を見ているのだから、それもあたりまえかな。

書いているうちに、何書いているのかわからなくなってきた。

秀樹が死んでしまった、そういう世界に生きてる。みんな死んでいくんだな。

死は幻想だ。だけど幻想の中ではいずれ、みんな肉体を離れる。

人生はその一過性のもの。そうしたなかで、「私」をどう生きるかな。

“世界一美しいスタバ”と、よろこぶ母によろこぶ私

2018-05-17

母と半日旅行

富山の実家で必要な手続きを終えて、東京に戻る日に母と出かけた。

行き先は、県庁所在地の富山市。所要時間4時間ほどだが、気分は旅行だった。

向かったのは、富山環水公園。美術館は休館日で、公園脇のイタリアンの店でピザのランチを食べ、“世界一美しいスタバ”とも言われる、スターバックス富山環水公園店でお茶をして帰ってきた。

母はなぜかスタバが大のお気に入りだ。「スターバックス」という名前が覚えられず、「スフィンクスみたいな女の人のマークの店」と言って、東京に来た時も行きたがる。

代官山のスタバでの母

前に母が上京したときは、代官山のスターバックスに寄った。店内がひどく混み注文にも長い列ができていたが、母は待っても飲みたいと言い、私が注文するのを柱の傍で待っていた。

15分位待たせただろうか。ようやく私がトレーにコーヒーを乗せて戻り母を探したら、若い人が大勢行きかうなかで、肩を小さくして不安げに立っていた。

私にとっては、怪獣より怖かったモーレツ母が、その瞬間愛しすぎて悲しくなった。

私は年を食っても大人になりきれず、いつまでも甘えているが、母はもういたわるべきお年寄りだ。その認知のギャップが、頭ではわかっているつもりなのに、未だに埋められない。

ダークモカフラペチーノに母よろこぶ

この日は富山も暑かった。「ハイカラなもん、わからんから、何でもいい」と注文を頼まれたけれど、わからないのは私も同じ。私はスタバでも「ホットコーヒー」しか頼んだこと、ないんだ。

でも、ここは、頑張っておしゃれで冷たくておいしそうなやつ、と思い、ダークモカチップフラペチーノと今年の新作チョコレートベリーマッチフラペチーノを頼んだ。母はダークモカチップフラペチーノをチョイス(写真:母は若い頃から髪が薄く、ずっと黒髪の鬘をかぶっている)。

おいしい…

と、母は大喜び。

私もフラペチーノって、こんなにおいしかったんだ、と遅ればせながら認めた。

池に面したテラス席には、外人の男性グループの方がサングラスをしておしゃべりしていて、絵になるな~と思った。

“世界一美しい”とのうわさに期待が膨らみ過ぎて、美しさは「そ~でもないかな」と感じた。

けど、母がおいしい、来てよかったと言っていたのが、うれしくて、私にとっては、“世界一ハッピーなスタバ”だったかな、と思う。

筋金入りのマザコン!?

今回の帰省には、図書館の予約本の順番がちょうど来て、オードリーの若林著のエッセイ表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬を携えてきた。

若林さんが、本の中で自身のことを、"筋金入りのファザコン”だったと告白していた。それが新鮮だった。

そして、はたっと気づいた。

私、もしかして筋金入りのマザコン!?

「マザコン」「ファザコン」という言葉は異性の親に使うのがポピュラーで意識していなかったけど、私が母に持つ少しねじれた複雑な感情こそ、コンプレックスにちがいない。

それは、ACIMでは「特別の関係」と呼ばれるものだ。いずれこの関係からは卒業しなければならない。

だけど、うれしそうだった母とスタバからの水辺の風景は、やっぱりしばし心の宝物にしておきたいと思う。

タコが自分の足を食べて生きるような…

2018-05-01

住み替えの「おつり」

今回の「住み替え」の副次的利点は、新居物件の代金に仲介手数料や登記料、引っ越し代を加えても、現住まいの売却金額から少し「おつり」が来るということ。何ヶ月分かの生活費にはなりそう。

それだけ現住まいが、引っ越し先より都心に近くて「立地がいい」ということになるんだけど、今の私にとっては引っ越し先の方が「落ち着くし住みやすい」気がしている。

こういうのを、「タコが自分の足を食べるような」所業というのだと思うけど、態勢を立て直すのに精神的余裕になる。ありがたい。

ノートパソコン有償譲渡会へ

それもあって、昨日は「ノートパソコンの有償譲渡会」というものを覗いてきた。官公庁や大企業で使われ、セキュリティ強化のため買い替えられる使用頻度の少ないものを、初期設定済みで安く提供しようというもの。

私が今使っているパソコンはデスクトップ型で2009年に買ったもの。ずっとそろそろ買い替え時かな、と思いつつ使ってきた。今度は、故郷にも持ち運びできるようノートパソコンがいいかな、と思っていたところの、この有償譲渡会だった。

ホテルの宴会場を使った会場は人で溢れていた。展示機種は少なく5台位。初心者向け26,000円(税抜き)~。

最も性能が高い機種で、

液晶:15.6インチ、メモリ:4GB、CPU:コアi5、ストレージ:SSD128GB、ウィンドウズ10、マイクロソフトワード・エクセル等付きで56,000円(税抜き)

とてもよい買物なのかどうか判断できなかった。官公庁で使われていただけあって、ちょっとデザインが堅いよなぁ、とそのまま書店に寄って帰った。

買物って―むずかしい。とくに、自分がよくわからない領域の買物って。

過去2回のパソコンは人に選んでもらったけど、今は頼る人はいない。自分で勉強して決めていかなくちゃ。

これも加齢?判断のための心的エネルギー乏し

引っ越しとそこでの生活回転に向けて、決めること、たくさんある。

一方の私は、どんどん判断することが難しくなっている。判断というのは思いのほかエネルギーが要る。若い時はそれに気づかなかった。

選択肢を考えたり、スペックと自分にとってのその価値を判断したり。タイミングを考えたり。その情報集めや整理をしているうちに面倒くさくなって先延ばししてしまう。

どうしても決めるべきことは、一つの決心、一つの行動のために、自分のなかにエネルギーが溜まるのを待つ。そしてエイッと使う。それからまたエネルギーが溜まるのを待つ。

必然的に、時間がかかるし、いちいちもたつく。

これから歳を重ねると、もっともっとそうなるかな。

でも、70代後半の私のマンションの買主さんは、マンション即決だった。そういえば、私も新居は迷わなかった。

人や決めごとの内容に寄るのかな。

5月はすでに夏の陽気だけど、動きやすい季節だ。自分なりに前進したい。

念願の!マンション売却契約すんだ

2018-04-28

先週末からの急展開の売却契約

きのうは自分のマンションの売却契約だった。

先週土曜の内覧から一週間。ものごと進む時には一気に進むもんだなぁ、と感慨深い。

そんな急展開があるとも思わず、ゴールデンウィーク中も内覧の方を待機するものだと思っていたのに一転。昨夜は解放感と安堵が湧きあがり、緊張で強張っていた身体から力が抜けた。ほんと、よかった。

一方で、住み替え・引っ越しが現実になってきて、リフォームを含めて、やることたくさんだな、と慌ただしさも感じ始めた。

買主さんとその仲介の不動産屋さんは、とにかく「娘さん宅に近いところ」でひとり暮らし用物件を探していたがなかなか見つからず、エリアを広げて探しておられたそうだ。

ここから娘さん宅へは徒歩5分もかからないという。「見つかって本当によかった」と喜んでおられる。ずーっと前から出ていたのに、目にしたのは先週末だったのだ。

人のニーズはそれぞれだなぁ。そしてタイミングが縁だなぁ。

やっかいな管理組合業務のことが気になっていたけれど、買主さんは発言力がありコミュニケーション力も高そうな方で、私が心配する必要もないと感じた。「後期高齢者」なので望めば役も免除されるはずだ。

そうそう、私が手付解除でキャンセルしてしまったマンションの方も買い手がついたようで、マンションサイトから消えていた。ほっとした。

ここに来てからの15年間の流れを思う

今回の住み替えが自分にとってどんな意味を持つのか、私には全体像は見えていない。

単に古くなったマンションの買い替えというより、人生のフェイズの変化時だと感じているけれど、どんなふうに変わるのか見当がつかない。

ここに来てもう15年か、早いな、とここ15年を振り返った。40代に入り「中年の転機」の真っただ中だった。

その頃も「もう、歳だな(-_-)」と思っていたけれど、今より15歳も若かった!

時間もまた幻想で、私たちが在るのは今しかない。

そうなのだけど。そうなのだけど…。やっぱり時の流れを感じる。

15年間この地とこのマンションに守られていたんだとも、感じた。

「自分探し」ではなく「自分なくし」

30代から40代にかけてずっと「自分探し」をしていた。

だけど、ACIMに出会って今改めて思うのは、私がすべきなのは「自分なくし」なんだということだ。(「自分なくし」という言葉は、みうらじゅんさんのない仕事のつくりかた』という本で出会った)

今、自分と思っている自分はエゴに操縦されているのだから、それをなくすくらいの気持ちでいたら、その奥にある神の子としての真のアイデンティティに近づくんじゃないか。

なくしても、なくしても、なおなくせないもの、が残るのかな、と思う。

怒涛の一週間にもうひとつ…買主さん現る

2018-04-24

土曜日、当日の内覧予約がきた~

昨日、先々週金曜に「新着物件」の紹介メールが来てからの、買い替え騒動について日記を書いた

怒涛の一週間だった。

…が、その最中の土曜日、もう一つ私にとってのイベントがあった。

現マンションに買主さんが現れたのだ!

昼に不動産屋さんから「今日これからお客様ご紹介していいですか」と電話があり、3時に来られることになった。

お風呂、トイレ、キッチンなどの水周りから居室、ベランダ、窓ガラスなど、生活感がある私物を片づけ内覧の方をお迎えできるレベルにするまで、私の場合3時間位必要だ。

え、今日ですか~!?

と、焦ったけれど、もちろんNoはない。

とにかく、きれいにすっきり見せねばと、片づけ&掃除をして、お迎えした。いつもの営業の方は、別件のご案内があるらしく別の方が案内してくださるとのこと。

総勢4名で来られた。おじいちゃんと、おばあちゃんと、40代位の女性と、男性。男性はいつもの担当者の代理だ。おじいちゃんとおばあちゃんは夫婦なのか、と思っていたら、そうではなく、おばあちゃん以外はすべて不動産屋さんだった。

要するに、おばあちゃんの一人暮らし。そうはいっても、元気でお若い。数年前までこの地区に住んでおられたらしく「この辺りのことは、あんたよりよく知っているよ」と頼もしい。

そして、その日のうちに購入申込み!

そして、内覧から2時間もしないうちに、購入申込みをいただいた。

自然豊かな土地に移ったけれど、歳をとって娘さん宅の近くに住みたくなったのだとか。その娘さん宅がうちから5分もかからないところにあったことが決め手になったらしい。

! ? !!

決まる時って、そんなにあっけないくらい、簡単に決まるの!?

うそ~!え、ほんとう!

うれしい。

現金での購入らしく、ローン審査の心配もない。金曜日に契約となった。引き渡しは6月21日だとか。父の命日の翌日だ。

でも、前々回は契約日の前々日にキャンセルになった。私自身は契約後にキャンセルしたし、と喜びきれない。あと、他にいろいろありすぎて、心のエネルギーが枯渇していて、喜ぶパワーが残っておらず、ただ茫然としていた。

でも、今しみじみ…

よかった。引っ越し先と売主さんが決まって。

ほっとした。ありがとう、買主さん、不動産屋さん…みんな。

罪悪感の具現化!?ぎっくり腰

ひとつおまけがあった。

急な内覧で、飛び上がって片づけ始めた私は、束ねた雑誌を持ちあげた瞬間、ギクッとぎっくり腰になってしまった。痛っ、立てない (>_<) それからは、這うようにのっそり歩いている。

金曜、ダンベル再開したばかりなのに、しばらくできないよ~、ダンベル再習慣化失敗。

私は腰が弱くて、数年前は年に何回かぎっくり腰になっていたことを思い出した。

もしかして、聖霊さんが、「体幹を鍛えよ」と言っていたのは、こういう事態を予見してのこと~?

調子に乗るな、ってことだよね。

翌日曜日の新・新居の契約も、そろそろ、そろそろ這うように歩き、電車の揺れに、あ゛…と、顔をゆがめるのだった。

こういうことを起こしているのも自分。おそらく、一方に「いいこと」があって、私の「罪悪感」がうずいて招いていることなんだろう。

実は、「新着物件」メールが届いた日から、膀胱炎にもかかっている。市販の薬を服用しているけれど、まだ治っていない。

土曜以来、腰にコルセットをして、そろそろ歩きながら、1時間に何度もトイレに向かっている。

でも、それも、「私のマンション売却&住み替えプロジェクト」というジグソーパズルの1ピース。

あ~、決まってよかった。

引っ越し、夏と思っていたけれど6月になりそうだ。

新居、キャンセル、そして別物件を新たに契約

2018-04-23

買ったマンション内に魅力的な「新着物件」現る!

昨日は、新居の契約だった。

あれっ、新居は先月決まったんじゃ?

そうそう、新居を契約したのは先月だった。そして、7月20日に引き渡しで夏引っ越しするつもりでいた。

先々週から先週にかけて、その流れが一転した。

きっかけは、先々週の金曜(4/12)に届いた一通のメールだった。

私は購入前に決めたマンションの住民や元住民による口コミサイトを見ていたのだが、そのサイトから、「あなたが見ていたマンションに新着物件が出ましたよ」という、ちょっぴり“おせっかいな”ご案内が来たのだ。

私は物件を購入してから、マンション仲介サイトは見ないようにしていた。もうすで決めて手付金も払ったのだから見る意味はないし、魅力的な物件を見つけてしまって後悔しても仕方ない、と。

それが、マンション口コミサイトという、思わぬところから情報がやってきたのだった。

何?これ?

新着情報って?

何気に開いて、それが一つ下の階の少し広めの物件の情報だとわかった。

お風呂とトイレが一緒のいわゆる3点ユニットバスが、(私にとっての)我慢ポイントだったけど、新着のそこはお風呂とトイレ別。面積も2/3になるのは仕方ないと思っていたが、新着は今住んでいるところと同じくらいとちょうどいい。

100%希望を満たすような物件はないから…と80%満たす物件を選び、満足していたはずだった。それが、残る20%も満たした物件が目の前に。坪単価はなぜか私が契約したものより安めだ。

あ゛~、こんな情報目にするんじゃなかった。契約はもう済んでしまっている。約束を破るのはよくないことだ。でも…。こっちの方がいいんじゃ? どうしよう??

いつも、すべては幻想だと言っているくせに、そういう考えはぶっとんでぐるぐるしてしまった。エゴの葛藤!!

契約解除→新たに物件の契約…怒涛の一週間

そして翌土曜、母からの電話で「新着物件」のことを話す。

母「後悔するから、見るだけ見に行くべきだ。こういう時のための手付だ」

その言葉に後押しされて、不動産屋さんに電話して、翌日曜に内覧させてもらうことに。そして、見て、手付金額を加えた価格で買うことになったとしても、「やっぱりこっち!」と気持ちを固めた。

たまたま別の用事で、その日夕方打ち合わせに来ていた仲介不動産業者さんに、「手付金、仲介料放棄して、契約解除したい」と相談。調べてもらったら、契約解除できるのは、4月19日(木)まで。それを過ぎたら物件代金の2割の違約金が発生するのだと。

内覧はしたが、確実に買えるとは限らない。まず、申込みして買う方を固めないと、と。

月曜の朝購入申込みの電話を入れた。私は内覧者の3番目だったけど、申込みは一番最初だった。

火曜に、すでに購入している方の売主さんに解除申込み。

水曜 不動産屋さん定休日

木曜 不動産屋さんに契約解除書類を書きに行く(解除期限末日だ)

日曜、新着物件のほうの契約

そして、新・新居の契約を終えての今日だ。

私が確実に買えるかどうか「月曜中に連絡する」と話していた不動産屋さんからは木曜になっても連絡がなく、「結局、両方買えなくなるのでは?」と不安度Maxになった私から電話してみたら、「(連絡を)忘れていた」とのことで、へなへなへたりこんだ。

亡き父と聖霊による導き

自分でも何だかよくわからないけど、願っていたマンションの願っていたタイプの部屋に住めることになった。

すべてのタイミングがスレスレ。

内覧できるのが次の週だったら…、

購入した方の売主さんが契約解除に難色を示されたら…、

共有者である母が協力してくれなかったら…、

流れはまったく別物になっていた。

ありがたい。

ほんとうに…。

マンションや空間もまた幻想だと知ってはいる。でも、でも、やっぱり気に入った住まいに住めるのはとってもうれしい。引きこもりがちな究極のインドア派の私なればこそ、居住空間はとってもとっても大事なのだ。

ふと思い返したら「父が(私の)家を建ててくれている」夢を見たのが金曜の明け方で、その同じ日に「新着物件」メールを見つけて、この一週間の住み替えプロジェクトが始まったのだった。

新・新居は、亡き父の力添えと導きによるものだという気がした。その考えはACIM的ではないのかもしれないのだけど、お父さんが力添えしてくれている気がした。

先週(4/16~20)はレッスン186をやっていたが、そこにこんなくだりがある。「神は必要というものを知覚しないが、神の子が知覚するあらゆる必要に応える想念を有している。」(L186-13-4)こじつけかもしれないけれど、聖霊による導きもあってこそだと思う。

亡き父の力添えと聖霊の導きはひとつのものだ。

私に見えている部分は常にわずかだ。これから、どんな展開が待っているのか。

今朝の夢ー父が家を建ててくれている

2018-04-13

ユング講座で夢のはなしを聴いてもらった

月一度通っているカルチャー、ユング心理学の講座では、受講者が見た夢のはなしをする時間がある。私もおとといの講座で3月末に見た夢について話した。

引っ越しが決まっていてその物件の再内覧に行くという夢。引っ越し&再内覧に行くという点まではゲンジツに沿っているが、物件は実際のものと違っていた。

ちょっとした体育館くらいの広さがあり、メゾネットタイプで2階に玄関があり1階へ下りていくつくり。真ん中には大きな吹き抜けがあった。2階のバルコニーの先は大海原で波が押し寄せている。おもしろい、よい部屋だった。

これともう一つ、幼馴染に会う約束をしているけどなかなか会えない、という夢を話した。

先生は私の話を聴いて、母の介護とも関係していると話された。2階は頭で、1階は心を暗示している。

「あなたは2階(頭)の分野が得意かもしれないけれど、今後1階(心)を用いねばならずそこではシャドウ(自分の影)と対峙しその部分を使っていく必要もあるだろう。自分が主人公ではやれないかも。覚悟が要りますよ」とおっしゃった。

それから、「吹き抜け」の家は、「父の不在」を意味すると。そして、「お父さんに感謝をささげなさい」とおっしゃった(先生はユング心理学を踏まえつつ独自の解釈をなさっている)。

私は、それを聴いて亡き父のことを思い出し、改めて「ありがとう、お父さん」と思った。

今朝の夢に父が出てきた

そうしたら、今朝の夢に父が出てきた。

夢の中の父は、私の家を建ててくれていた。木造2階建ての一軒家。大工さんみたいに本当に父が建てている。材料となる丸太を何本も右わきに抱え歩く後ろ姿を見て「お父さん、すごい」と頼もしく思っていた。夢の中の父は40、50代位?若かった。

起きてから、とてもうれしくなった。晩年の辛そうな父ではなく、活力に満ちた父に会えたこと。その父が、自らの手で私の家を作っていてくれたこと。

夢は潜在意識のスクリーンに映されたものだと考えると、夢の中の家は、自分の心そのものかもしれず、引っ越しの夢を見るのは、やはり変化時なんだろうなぁ、と思った。

今回、父が手づから私のための家を作ってくれている!

父は亡き父であり、神なる父(もちろん神なる母でもある)であるとも解釈できた。

私の心の内には父が作ってくれている家ができつつある。いずれ私はそこへ引っ越せるだろう。

父は私の感謝に応えるかたちで、夢を見せてくれた。私は守られている。なんてありがたいことだろう、と思えた。

そのありがたい気持ちや、護られた感が、エゴの不平不満に満ちた私のなかでどれくらい続くかわからない。でも、動けていない自分に対して焦りや恐怖感で固まっていたのが、焦らず、ぼちぼち、行くかな…、という気になれてきた。

16年ぶりに、美容室を変えた

2018-04-11

売主は少しでもこぎれいに!?初めて染め専門美容室へ

変化時っぽい今年、もうひとつ、16年ぶりに変えたものがある。

美容室だ。

[caption id="attachment_3547" align="alignleft" width="300"] 〈イメージ〉[/caption]

私が行っていたのは前の住まいの近所だった美容室。現住まいに引っ越ししてからも通いつづけていた。

美容室では、美容師さんとの会話がめんどうという声も聞くけど、店主は人情味あふれた男性で16年も通い続けているから慣れていて、世間話をするのも楽しかった。

ただ、カット&染め(白髪染め)のコースで3時間くらいはかかるので体力に余裕がないと行けず、11,500円という金額も出しづらくなっていた(行くのは3ヶ月に一度だけど)。トイレが近い私は、途中でお手洗いを借りるのも恥ずかしかった。

この冬、マンション売却で内覧の方がお見えになるという前日、少しでも見栄えよくしたいと思い、「やっぱり生え際の白髪が気になる人より、きれいな人から買いたいよね」と、初めて染め専門美容室なるものに行った。いつもインターバルは自分で染めていたけど、今年は寒くてしそびれていたのだ。

ACIMの教えと逆行するようだけど、この幻想のゲンジツの世では、見栄えはやっぱり肝心。印象をよくするには、部屋を掃除するのと同様、売主も少しでもこぎれいに見せるべし、と思ったのだ。

染め専門美容室には、生え際染め850円のクーポンを持っていったけど、全体染めになりトリートメントやロング代金など、何だかんだおカネがかかった。

でも合理的。ブローもドライヤーを渡され、自分でして帰る。全部で1時間。次からは1,700円(生え際染め)でできる。

それが気に入って、これまで一連の流れと思っていた、染めとカットを別に考えることにした。

新しい美容室、行こう

これまでずっと通い続けた美容室。何度か変えようかなと思ったけど、お店の方は、私が季節の変わり目には当然来るものだと期待(?)しているだろうなと思うと、なかなか変えられなかった。

でも、もう他区に引っ越すことだし。「美容室行くならここ」みたいなヘンな縛りが面倒くさくもなっていた。

新しい美容室、行こう!

お客の身とはいえ、このささやかな決断にも勇気が要った。

カットは「おしゃれな格安カット店」で、2,160也。美容師さんとのおしゃべりにキンチョーするかな?と思ったけど、格安美容室は激混みでタイマーをセットしてカットするから、客と余計なおしゃべりなどする“サービス”などしないのだ。

髪を10㎝くらい切ってさっぱりした。髪型も平凡ながら問題なし。

カットは3ヶ月に一度、染めは毎月行くとしたら、2160円+1,700円×3=7,260円。これまでの11,500円と比べると、4,240円/3ヶ月の節約になる。これまで途中で自分で染めていた手間も省ける。

「節約」も幻で、これを追求しておカネをリアルにしてもしようがない、とは思うのだけど、まだまた未熟な学習者。

「見栄え」と「安さ」に振りまわされるのだった。

でも、これまで「買えたらダメだ」と思っていた美容室、新しいとこに行けたのは、心のうちに抱えた罪悪感が少し減ったからなのかな?

無意識に自分を縛っている観念の、なんと多いことよ!

レッスン183のことを書こうと思ったら、気づいたら美容室のことで終わってしまった。

マンションの定期総会、終えた

2018-04-09

定期総会、予想以上の混乱で疲労困憊

昨夜はマンションの定期総会だった。そこで次の役員の方に交代、…で任務終了のひとくぎり。

総会は予想通りというか、予想以上というか、ひとりの方(勝手にモンスターさんと呼んでる)の質問や意見で大混乱した。

数年前に多数決で決まってもう終えてしまったエレベーター工事に対する今更ながらの反対だったり、予算に計上した予備費が不正につながるから不要といったものだったり、ほんとうは何がしたいのかよくわからない意見ばかりで、話すうちにもどんどん論点が変わっていく。それはかなり“病的”な印象を受けた。

管理委託契約契約更新の議案にもかみつき、管理会社さんは「否認してくださって結構、うちは下ります」と逆ギレした。

私は初め「これは幻想、幻想、反応しちゃいけない」と自分に言い聞かせていたけど、「理事長、答えなさい」と私に直接回答を求める質問をぶつけられるうちに、心臓がバクバクしてきた。答えようのない質問ばかりだし、うっかり感情的に反論したら、火に油を注ぐことになる。

途中、中国人の住人の方が、何度かまったく別方向からの質問をしてくれて、それが混乱に水をさし参加者の冷静さを取り戻す助け舟となった。

議案はすべて、彼女以外の方はすべて賛成で議案はすべて可決。まぁ、その方の暴走はいつものことだから、波乱を含めての予定調和なのかもしれない。

新役員になるはずの3名の方は全員欠席した。引き継げた感はなく、すっきり肩の荷が下りた感じもない。けど、後は留任される方にお任せしたい。

 

帰宅後、疲労困憊していた。

これが、私が見ているゲンジツなのかと。

これは、すべて私の心が見せているものだし、モンスター的住人さんも内なる自分の姿だ。

私はいったいどうなっているんだ。。

すべての紛争は私のエゴの影…、現れるのは手放すため

今朝もいつもならウォーキングに行けたことでさっぱりしているはずが、心はまだぐったりしていた。理由ははっきりしないけど、なんかなぁ、とやるせない気分だった。

ワークをして、少し見方を変えることができた。

そのモンスター的住人は、私の人生の変化を促すプロモーターの役割をしてくれているのかも、と思った。

大小にかかわらずすべて“紛争”は、私のエゴの影。手放すために見せてくれているんだ。

ただ、「神からの分離」という誤解からもたらされた幻想だと思い出し、手放しさえすればいい。

憐憫に浸ってリアルにすることはない。

やるせなさの陰に罪悪感も浮かび当たってきた。

いつもやっているように、豊かさ・喜び・感謝の流れをイメージした時、それらが私なんかにふさわしくないんじゃないかと感じてしまったから。

「サラバ」それが、聖霊さんのメッセージ?

その後、聖霊さんからのメッセージって何か感じるかな?と心の内に意識を向けたら、

「サラバ」と浮かんだ。

サラバ ???

「さよなら」っていう意味?

それは、このマンションよ、サラバ… なのか。

ネットで「サラバ」の意味を調べたら、「然らば」⇒「それならば」というのも出てきた。

それならば…?

もめ事やその人が、もし、私のエゴの影だとしたら…?てこと?

赦す…しかない。気づけたのなら。

 

他には、また「姿勢をよくしろ」

それと「悲しみに浸ることに、喜びを見いだすな」

という言葉が浮かんできた。(それが本当に聖霊のメッセージかはわかならいが)

毎日のように言われている気がする「姿勢をよくしろ」というのは、文字どおりの姿勢、猫背を治せってことかな?

それとも心の姿勢、物の見方のことかな?

こうして書いているうちに、心が少し軽くなっているのに気づいた。

書くことの効用って、渦中から少し客観的になって外に出られる、ってこともあるなぁと思う。ありがたい。

レッスン183について書くつもりが、気づいたら定期総会のことだけになった。

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