ACIMレッスン220-レッスン200の復習
2018-11-14
あ、レッスン220、飛ばしてた!レッスン220―レッスン200の復習
あれっ?
今気づいた。
レッスン220のダイアリー抜かしてた!
やっと第2部に入って、先に進めると思っていたけど。
レッスン220ってー? レッスン200の復習。
「(レッスン200)神の平安のほかに平安はない。」
この大事なワークをすっ飛ばしていたとは…。
いつやってたんだっけ?
10/25~28だった。すでに半月経っている。
その時のノートを見返すと、経済面の不安感&働いていない罪悪感(世間に顔向けできない)と、「感謝しながら自由にやりたいことをやっていいんだ」が交互に出てきている。両方本心だ。
10/26のワークのメモには、
「(私は)もっともやりたいことをやっていい。」と書いていて、
「それは、おそらく、
ACIMの学習者である私が、
書く、
話す、
カウンセリングやリーディング?
といったこれまでやってきたことを、ACIMの視点からやる。
たぶんそうしたことに関すること。」
…と書いて、マーカーで囲んである。
そして、続けて、
「おカネは幻想だ。
それがなくなることを心配するより、
自己表現に伴う恐怖を(ひとつずつ)とりのぞけ、
表現することによって」
とある。
でも、やっぱり不安感のほうが強くなって、この直後に近所の倉庫事務の求人を見つけて応募したんだった。
思えば、ずっとずっと揺れている。
そしてその揺れ幅は大きくなっている。
「問題」は、つり橋の上で恐怖から固まっているかのように、前にも後ろにも進めないでいることだ。
同じ時間という幻想がすぎるなら、そしてまだおカネをいう幻想が手元にあるなら、もっと自由にやりたいことをやってみればいいのに!
ただ固まって、自分を追い込んでいる。
ばかみたい。
「開かれた目で見さえすれば、あなたを迎え入れようとして扉が難なく開き、目の前に天国が見出せるというときに、地獄を延々と探しまわるのはあまりに愚かなことではないだろうか。」(L220-3-6)
今レッスン200を開いて目についたところ。
しばし、気を落ち着けて直感を遊ばせてみようか。
やりたいことはすぐに形にならなくとも、種を蒔き、試行錯誤しないことには見当もつかないのだから。
若い頃自分探しをしたり夢に向かうテーマって、アニメなんかでも目にするけど、還暦に近づいてこれって、かなりイタい人だ。
人には言えない、と思う。
いーじゃないか、言う必要もないんだから。
すでに十分イタイんだから、もう少しイタくなったって!