2020-11-28
間ができて立ち止まる
ワプニック先生のテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』 “私の旅”…。何とか7章の和訳を終えた。いつもだったら、シェアの会ギリギリでそれまでにブログにまとめをしなきゃ、と焦っているところだけど、12月の集まりはいつもより遅い予定で、少しだけ間がある。
そこで、来し方を振り返っていた。
思えば、仲間に加えてもらい一緒にこの本読みをすることになってから1年半。必死だった。
初めてこの本が私の幻想世界に現れた時は、ほんとうに“黒船来航”くらいのインパクトだった(参考:「ワプニック博士本シェアの会、一年経った」)。
というか、仲間の存在がまずインパクト大だった。
「ゲイリーさんの本の3冊目のあの箇所でさぁ…」と誰かが話して、「うんうん、あの話ね」と答える。そんな世界があるなんて…!w(゚o゚*)w 顔に出ていたかどうかわからないけど、心の中は狂喜乱舞。幸せすぎる (⁎ᵕᴗᵕ⁎)
私はひどく疲れやすい質だけど、仲間と話している時は5時間くらいぶっ通しで話をした時も、ちっとも疲れてない。それも不思議だった。
ブログ…“洞窟から海にひとり言”
そもそも私が奇跡講座についてのブログを書きたいと思ったひとつは、神はこの世を創っていない、この世はない…から始まる真実があまりに衝撃的で一人で抱えきれなかったからだ(それに、ここに学習者の端くれがいるよ♪と表現もしたかった)。
そこで、童話で「王様の耳はロバの耳」と穴を掘って叫んだように、ブログという日記で漏らした。少し違うのは、穴を掘って叫んだ…のではなく、自分の方が穴というか洞窟にいてそこからインターネットの海に向けてひとり言を発している感覚だった。
思えば「奇跡講座ダイアリー」とは(「タマソニアの奇跡講座ダイアリー」の略だけど)、ずうずうしいタイトルだ。無知最強…。
私にとっての利点と難点
出会った仲間は、私より奇跡講座と出会った時期が早く知識も深く学習も進んでいて、加えて英語力も高かったから、遅れをとりながらも、とにかく、とにかく…付いていきたい、と必死だった。自分の感覚では山登りのビギナーが無理めの山を駆け足で登っている感覚だった。
今年に入ってコロナ禍ということもあり、次第に本読みシェアからともかく短時間でもコミュニケーションするということに重点が置かれ、ワプニックさん本読みは個人プロジェクトとなっていった。
そうなると、これはやってもやらなくてもいい、自分次第のプロジェクトとなったのだった。
そして今…。
この本を読んでよかったのは、何よりACIMテキストが理解しやすくなったこと(もちろん自分比)。
そして、ワプニック先生がACIMの根幹の考え方を繰り返してくださるため、知らない間に考えが浸透してきている気がすること。
さらに、いずれもっと英語に慣れれば、他のワプニック先生本も読めるかもしれない…。
一方、問題があるとすれば、時間をかけすぎていることだった。私はここ1年半かなりの時間を費やしている。
しかし、1年半で7章…。山で言えば…7章÷31章=0.225…まだ二合目じゃん!と茫然とする。
(3つの翻訳サイトの力を借りつつ)全訳していているのが、時間がかかりすぎている一因だ。
なぜ全訳しているのか
なぜ訳しているか、と言えば、
①そうしないとわかった端から忘れてしまい何書いてあるかさっぱり意味がつかめなかったことと、
②意味をつかむまでに時間がかかっていたから、魚つりの魚拓みたいに記録に残したくなったこと、
③去年参加した翻訳講座の先生が「英語でそのまま読めるようになりたい」という私に対して「和訳を続けたらいいのに」とぼそっとおっしゃったこと…
などが背景にある。
前に、トベちゃんが私がかなりの時間を費やしていて窮していることを察して、「英語ややり方見てあげましょうか」と気にかけてくれたことがあった。とってもありがたかったが、恥ずかしかったことと愚直にちくちくやるのが性にも合っていると思っていたから、辞して実現には至らなかった。
さてこの先…
しかしなあ、今まだ山の二合目…
この調子で、あと5年位できる?
いやいや、生活的にも健全とは言い難く、さすがにまずいだろ、と思う。
なんか物事の優先順位まちがってないか…(気づくの遅い)
もっとペースを落として他のことと並行できるように考えるか。
しかし…。なんか背負っている感覚ありそれが重いから、正直なるたけ早く手離れたい(すごく為になっていると言っているくせにこの言いよう、先生には失礼だけど)
まったく自分の好きにしていい個人プロジェクトなのだけど、何となく葛藤を感じている。
これも自我と聖霊の間の葛藤の投影か。