2020-11-09
カルガモのお母さん的な
先週せっせとワプニック先生の『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』の7章前半のまとめをブログにアップしていたのは、そう、週末シェアの会があったからだ。
前は同書の内容をシェアしていたが、最近は本には触れず雑談する会となっているから、本読みが必須ではない。
しかし私の『Journey through …』旅にとっては、シェアの会は「一里塚の茶店」みたいなもの(Journeyなのに一里塚、茶店とは和洋折衷だ)。それまでに何とか旅程のほうも段取り通りに済ませ、すっきり茶店で落ち合いたいと思い旅路を急いでいたのだ。
この会、私が数えるところによれば18回目(Zoom会含む、イレギュラーで会ったのは含まず)だ。一年半よく続いたな、と感慨深く思う。だいたいこうした緩い自主的な集まりは一年位続けばいい方じゃないかな。
これだけ続けられているのは、仲間のトベちゃん(ブログ「ACIMタッチアンドゴー」)のリーダーシップというかファシリテート力に拠るところが大だと思っている。いつも思うことながら、段取りや調整、コミュニケーションが抜群だ。
リーダーシップというと「さぁみんな行くわよ!」っていう力強いものをイメージするけど、それとは違う、カルガモの引っ越しの親ガモみたいだ(個人の感想です)。溝に落ちてバタバタし列に付いてこれない子ガモがいたら察知して歩みを緩め、みんなの歩調を合わせる努力をする的な…、各自の状況を慮りながら合意形成を図る感じ。
そういう役を数多くこなし場数も踏んでいるからだろうけど、1を聞いて10を知るような勘の良さもあり、こちらは何となく乗っかっているだけでちゃんと運ばれる安心感がある。
すごいな。
地頭の良さとか群を抜いた語学力とか几帳面さとか、トベちゃんに驚かされることは数あるのだけど、こういう人とのやりとりや段取り力って生きる上で宝じゃないかな。私が今世諦めてしまっているところだから、余計羨望の眼差しで見てしまうのかしらん。
この先ACIM学習者の「交差点」や「バスターミナル」みたいなお役も果たせるんじゃと、年の離れた妹を見るような気持ちもある。
体験から非二元を語る良書
先月、メンバーのひとりMさんにある本を紹介してもらった。そしてこの間その本を読んでいた。
Mさんは先々月、「『赦す』とか『イエスの眼差しで見る』とか大事というのはわかる。だけど行動レベルでこうしたらいいみたいなより具体的な指針があったらなぁ」といったことを言っていた。
先月紹介してもらって読んだ本、読んでみると、その答えのようだな、と思った。つまりMさんは自分でQuestionを出し翌月に自分でAnswerを得ているように、私には見えた。
その本というのは、「『私』という夢から覚めて、わたしを生きる」(中野真作著)
著者の中野さん、23歳のときに身体をこわしたことをきっかけに最初の覚醒体験をする。そこから自分の苦悩をどうにかしたいと内的探求を始め一元性から非一元へと導かれていった。そのプロセスが書かれていた。
素晴らしい本だった。
奇跡講座の本ではないし赦しも出てこない。この世のしくみの全体像を示しているわけでもない。
ただ書かれていることが心に沁みた。
とくによいと思ったのは、肉体を持ったニンゲンの視点から書かれていること、ご自身の体験がベースだという点。そして語り口調が穏やかで優しい点。
まだしっかり読めていないけれど、非二元は真理だけど感情と身体の感覚をしっかり感じ取ることがとても大切でそこを抜かしてはどこにも行きつかないですよ、ということが納得できた。それは観念的になりがちな私にとってもとてもよい方向づけとなった。
ちゃんと読めたら改めて感想を書いてみたい気もするけれど、たぶん無理だな。でも、何度も読もうと思う。
本からの体験を分かち合えるのもシェアの会のありがたさだ。