ACIMテキストから無作為に一段落を選ぶ

2020-08-23

新幹線の車窓から眺め…

昨日、タロットカードを無作為に選びその解説にあった言葉を「座右の銘」としたはなしを書いた。このいきさつを思い出していたのは、故郷に帰省する新幹線の中だった。

私は、その日の朝ある助言に従い、「ACIMテキストをぱっと開いてそこにある一段落をえいっと選び、それをコピーして持ってくる」ということをしていた。

それは実に自分にしっくりくる内容だった。…そういえば、タロットでも一枚選んで自分のカードとしたっけなぁ、とビルやマンション群から田畑そして山、川へと景色が変わっていくのを眺めながら、過去に思いを巡らしていたのだ。

テディさんとの電話、緊張と不安と

ACIMテキストから一段落を選ぶ…。

自分からやろうと思ったことはない。占いの本なんかで直感でページを開くというはあるが、コースでは思いつかなかった。大それたことのように思えるし、選んだところで内容が理解できるかわからないし。

きっかけは、帰省の直前、ひょんなことからトベちゃんの友人であり“師匠”、テディさんとLINE電話で話す機会を得たことだ。

私がブログにテキスト解説本のシェアの会にテディさんが参加してくださったことを書いたことが発端といえば発端なんだろう(イレギュラーなことだしスルーできなかった(>_<))、接点ができて、1対1でおしゃべりする流れに。

私は戸惑い不安を感じた。

「テディさんだから」というのもある。が、それ以前に、脳の老化が著しいのだろうか、私はここ数年話しかけられた内容がすぐには理解できなかったり言葉が出てこなかったり、会話がスムーズにできなくなっていた。その不安が大きかった。

はたしてちゃんと話せるだろうか。。。

ナーバスになって前夜にはトベちゃんにLINE…面倒見のいいトベちゃんは何かを感じてくれたのかそのままLINE長電話となった。これは期せずして「練習」になった。

テディさんのアドバイス

さて翌朝。不安から一周廻ってハイになり、楽しく小一時間おしゃべりさせてもらった。

「(トベちゃんの)師匠なんてとんでもなくて、とうに彼女のほうが先を行っています」と話しておられた。「ことに最近はすごいと思う」とも。ふむふむ。

話も終盤に差し掛かったとき、話題は私の帰省のことに。

「帰ったらお父さんのことを思い出したり、お母さんに対してもう~ん、いろいろあるでしょう。ACIMのことも忘れちゃうかもしれないけど…」

…!!

これには身構えた。

いったい、何を、どこまで知っているんだろうー。

いやいや、晒しているのは私だー。ブログを覗いてくださっているのだろう、ありがたいことだ。

しかしー。硬直した。

テディさんのはなしの続きはこうだった。

「テキストを手元に持ってきて、ぱっと開いてみて、そこで目に入った箇所を実家に一緒に持って行ってください。そして忘れそうになったらそれを見てください。」

普段だったら、「じゃあ、そうしますね」と言ってそのまんまにしていたかもしれない。が、その時は「ちょっと待ってください」とその場でテキストを開き、目にした段落を選んだ。そしてプリンターでコピーして、ショルダーバッグに入れて出発した。

ACIMテキスト「私の段落」

それは、テキスト11章8節14段落だった。こんな言葉で始まる。

私の幼子よ、あなたは兄弟たちと父と自分自身を恐れている。しかし、あなたは単に彼らについて欺かれているだけである。彼らがなんであるかを、実相の教師に尋ねなさい。なぜなら、恐れは、実相の中ではなく、実相を理解しない子供たちの心の中にあるからである。」(T-11.Ⅷ.14:1-4)

文頭を見た瞬間、ああ、これはまさに私に言われている、と思った。

私は最初に出会ったニンゲンである母をひどく恐れて育ち(幼い頃一度父に泣いて助けを求めたことがあるが、泣くということを嫌う父にひどく叩かれ、諦めた)、その後、他のニンゲンにも怯えた。

だが、私が何より恐れてきたのが、怒りや復讐心を顔に出さずに蓄積させていた自分自身だった。

そしてそれを他の人に投影していたから、周りの人も“ネガティブ玉”を抱えているように見えてそれを投げつけられることに怯え、カウンセリングを受けたり学んだりして今に至っても全部が解消済みというわけではなかった。

しかし、それは私というニンゲンが自作自演しているストーリーであって、私がこの世というスクリーンに映している自らの影だ。テキストのこの箇所はそのことを思い出させてくれる。

テキスト11章8節14段落にはこうも書いてあった。

あなたはを怯えさせるのは、兄弟や父やあなた自身の実相ではない。あなたは彼らが何であるかを知らない。だから、彼らを幽霊や怪物や魔物として知覚する。何が彼らの実相であるか、それを知る存在ものに尋ねなさい。」(T-11.Ⅷ.14:7-9)

「幽霊や怪物や魔物として知覚する」というのが、まさに私の症状だ。

段落は、「そして、あたなは自分の見ているものによって欺かれているからこそ、恐れを一掃するために実相を必要としているのである。」(T-11.Ⅷ.14:10)で締めくくられている。

だれにでも、「ツボ押し」のツボのように効くフレーズがあるだろう。私にはこれがぴったりだと思えた。実家に出かけるタイミングだったことがさらに腑落ち感を増したようだ。

タロットの「私のカード」と同じく、これをACIMテキストの「私の段落」としよう。「私の…」とは自我っぽいけど、ベースキャンプみたいなものだ。

少しずつ癒されていく

しかし残念なことに、とやまの実家に一歩足を踏み入れたら、そこはまた別世界。結局一度もテキスト11章8節14段落を見返すことはなかった。

ああ、実家は、聖霊か自我かの二択ではなく、母一択なのだ、未だ“マザコン”を引きずっている私にとってはー。やれやれ。

それでも、(意識下はわからないが)意識の上では以前よりずっと母と和やかに過ごせるようになってよかったと思えている。

テディさんがACIMテキストから一段落選ぶよう背中を押してくれたのも、思えばギフトだ。

そうやって少しずつ癒されていく。

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