2020-07-20
生きる目的「世界を赦す」
「私たちには世界を赦すという目的が与えられている。
それが神が私たちに与えたゴールである。私たちが探し求めているのは、神が定めた夢の終わりであって、私たち自身が決める終わりではない。」(W-pⅡ.fl.in:3.2-4)
未だわからない
私は中年の転機といわれる40代前後から「自己実現」という言葉に惹かれていた。そして自己実現のカギとなるのが、女子が好きなフレーズ「私らしく」だった。さらに20代の頃何かの企画書で見た「美楽創遊」という言葉に惹かれ(来るべき21世紀は美楽創遊の時代になる、と謳っていた)、「美楽創遊を通して、私らしく自己実現すること」が人生のテーマになった。
その頃出会ったのが、カルチャーセンターのユング講座。「ユングに学ぶ自己実現の道」みたいなタイトルだったと思う。
ユング心理学では、意識・無意識含めた自分の中心である「自己(内なる神のようなもの)」と、意識主体である「自我」の道の通りを夢やイメージ、ヴィジュアライゼーションなどを用いて良くして、自己を生きる(=自らの個体性を花咲かせる)ことを提唱し、それを「個体化過程(individuation process)」と呼んでいた。
私は、自分の個体化過程に至る具体的なものはわからなかったけれど、スピリチュアルなことにアート性が加わったことが好きだったので、カラーセラピーやアートセラピーフラワーセラピー、占い、カウンセリングなどを学んだりしていた。
しかし、どれも「これだ」とピンと来るまでに至らなかった。
私にはそういうものはないのかと思いつつ「何か」を求めていた。
そして、2012年『神の使者』を読んだとき、「何か」ってこれかも?(これ以上のものはない)と感じた。
ACIMワークブックに着手するまでには1年かかった。ワークを学ぶにつれこれぞ真理だと感じた。
は~、「私らしく・自己実現」のはずが…
よりによって、個としての「私」も、それを行動に移す舞台であるはずの「世界」も手放すことを学ぶとは…
それは、例えて言えばボルダリングをしていた途中でホールド(持つところ)が急にマシュマロになっちゃった気分…、と言ったら大げさかな?
ふわふわふにゃふにゃだ、あわわ。。。
昨年からワプニック先生のテキスト解説本を読んでよかったと思うのは、自我を見て手放していくこのACIMのプロセスがそもそも誰にとっても恐怖を伴うものだというのがわかったことだ。
ACIMを学んでいるつもりで上っ面だけなぞっていたのは、“あるある”なのだ。
未だ方向喪失感を伴ったまんまだ。進んでいいのか(そもそもどこが前か)、しっぽを巻いて逃げるべきなのかわからないでいる。
とりあえず明日もワークはしよう。