2020-06-24
彼の無罪性を見て、あなたが癒されなさい
「真理の反映である赦しが、どのようにして奇跡を差し出せばよいか、どうすれば自分が暮らしている場だと思っている牢獄から抜け出せるかを、私に教えてくれます。
神聖なあなたの子は、まずはじめに私の兄弟の中にいることが示され、それから私の中にもいることが示されます。」(W-pⅡ.357:1.1-2)
「そして今日、私があなたの子を見るとき、あなたが定めた通りにあなたへの道を見つけるようにと、あなたの声が私に教えているのが聞こえます。
『彼の無罪性を見て、あなたが癒されなさい』と。」(W-pⅡ.357:1.4-5)
会えるときに会う
まだ富山にいた日曜の晩、金沢に住む友人がたまたま電話をくれた。
翌月曜日には東京に戻る予定だったが、「ここまで来ているのだから」と急遽金沢まで足を延ばし彼女の仕事終わりに会うことになった。
新幹線は高いので在来線を使い、片道1時間40分の旅だ。
会っていたのはたった2時間半だけど、コロナを潜り抜けて再会できたねと(大げさかな)、感慨深かった。
友人はコロナ禍の渦中お母さんの病気が発覚、入院。その後思うように面会もできないまま4月末お母さんを見送った。動揺は大きかったろうにそれでも前向きに落ち着いて受け止めている姿に、えらいな大人だな、と感じた。
帰り、深夜の在来線。窓の外には真っ暗な中にぽつぽつと明かりが灯っていて、その中を電車はカタコト一駅ずつ止まりながら走っていく…窓に映る自分を見て、人生の旅もずいぶんと来たものだと思った。
私がつい過去に引っ張られてしまうのは、(ACIMの勉強が進んでいないのはもちろん、この世レベルで言えば)親離れができず精神的に未成熟なままなのと、自分を投影して未来を見る子どもがいないからだろう。
ずっと親に複雑な感情を抱いてきたが、40半ばからようやくその複雑な気持ちが解けACIMでいう「特別な愛」が溢れてきた。それは大いに偏ったものだと学んではいるけど、本当の愛に昇華させるところまでに至っていない。
まっとうなニンゲン
4泊5日の帰省中、ACIMにはいっさい触れなかった。
GW帰省で更新するはずだった期限が切れてしまっていた母のパソコンのセキュリティソフトを更新したり(幸いウイルスみたいなのはなかった)、植物の植え替えをしたり、掃除をしたり、スーパーで買物をして料理をしたり、近所の蕎麦屋さんに行ったりして過ごした。
また母と一緒にファスナーで有名なYKKのものづくりの歴史や技術を紹介する展示施設「YKKセンターパーク」に出かけたりした。
数日間だけど生家のリズムで日常を過ごしていると、自分が「まっとうなニンゲン」になったような気がした。
東京にいる私より、ずっと健全だと感じた。
そして、そもそも健全だったらACIMなどいらないのかもしれない、と思った。
解離しているのか、“東京の自分=ACIMワークをしたりワプニックさん本を読んでいる自分”が思い出せなかった。
昨日、東京に戻った。
新幹線でぐっすり眠ってしまい、起きたらもう東京だった。
ヘンな姿勢で固まってしまったのか、立とうとしたら、あ゛~、痛てててて。ギックリ腰になってる。
どうも東京ー富山間には時空に歪みがあるな。
ACIMに触れているときの私と、生家での私ー、どっちが本当の私なんだろ。
ACIMワークをやってきたおかげで、生家でも穏やかでいられるようになってきたのか。
自分がバラバラでふわふわしていてまとまらない。腰の痛みはリアルだ。