2020-05-20
怒り、恐れ、不具合、葛藤の…原因はない(はず)
「私には、あなたと共有する完璧な平安と喜び以外に何かをもたらす原因はありません。私が怒りや恐れを必要とする理由などあるでしょうか。」(W-pⅡ.348:1.3-4)
「あなたがあなたご自身の聖性と同じように完璧な聖性のうちに私を創造されたというのなら、私が何を恐れたりするでしょう。」(W-pⅡ.348:1.8)
「神が私たちに行わせようとするあらゆることにおいて、私たちは神の恩寵を受け取り、それだけで充分に満足する。そしてそれだけを、私たちは自分の意志とし、神の意志とするという選択をする。」(W-pⅡ.348:2.1-2)
嵐のあと…
よく眠れた、体調は6、7割回復していた。
一昨日から昨日にかけてのトイレの詰まり&膀胱炎のダブルパンチ・パニックが去り、「嵐の前の静けさ」ならぬ「嵐のあとの静けさ」というか、エネルギー使い果たして茫然としている(英語のことわざに「After a storm comes a calm.」というのがあるのを見つけた)。
ふぅ。。仕切り直さなきゃ。
夫婦で暮らす友人(日ごろからメールのやりとりをしている)は、「(トイレの詰まり)専門の業者さんを呼んで直してもらい、夜だったから高かった」と言っていた。出張になるし数万円はかかるらしい。
そう思えば、千円くらいで自力で直せた自分をほめてあげたい、と思った。
つらつらと考えていて、昨日ドラッグストアで買った膀胱炎薬、ネットで前回買ったときの倍の金額だったことを思い出していた。
「こうも価格が違うからリアル店で買いたくてもネットで買っちゃうんだよな~」と思ったが、ふと、昨日はすぐ薬が手に入って喜んでいたのに、もう不満のほうに舵を切っていることに気づいた。
「喉元過ぎれば…」ってやつだ。
私は物心ついたときから親のことを斜に構えて見ていた。ジャッジメントはクセになっているのだ。
常に感謝が足りないんだよな~、てかその概念を知ったのは最近なのだ。
そういえば、恥さらしではあるけど自分にとって大パニックだったことを“発表”できるブログという場があってよかった!と思った。
書くことで客観的になれるし、自分ひとりで抱えているよりは健全だ。まったく一人でノートに向かうよりある種の緊張感もある。
読んでくれる人なんてそんないないのにわざわざこういうのを書くのも恥ずかしい、と思っていたけど、まあ、実際に読んだ人しか目にしないのだから過剰に恥ずかしがらないでいいのだ。
「いつも立ち寄って長文メールを読んでくれて、ありがとうございます!」
自分のためだけに始めたブログだけど、
今は見てもらえるのうれしいと思ってます (。・ᴗ・。)