2020-05-11
今日、奇跡だけを与える
「父よ、奇跡は、あなたからあなたの子への贈り物の反映です。私が与えるどの奇跡も私のもとに戻り、愛の法則があまねく一切にあてはまることを思い出されてくれます。」(W-pⅡ.345:1.1-2)
「私が与える奇跡は、私が知覚する問題に対処するために必要な形で与え返されます。」(W-pⅡ.345:1.4)
「しかしここでは、奇跡は、私が与えることのできるほかのどんな贈り物よりもあなたの贈り物に近いものです。今日、この贈り物だけを与えることができますように。」(W-pⅡ.345:1.6-7)
友人の“カミングアウト”
先週末久しぶりに長電話をして話し込んでいた友だちのふいの言葉で、頭が一瞬真っ白になった。
「実はね私、たまちゃんのブログ読んでいるよ」
えっ!?
どういうこと?(・・)、、、うそーっ!?
このブログを作った当初「奇跡講座(ACIM)」というものについてのブログを作ったとは話していたけれど、友だちはチラッと目にした後は読んでいないはずだった。
このブログには私を知っている人にはあえて言っていないこともまま書いてあり、私サイドからは、ACIM学習者ではない近しい人には「見られてはいけないブログ」だった。
えっ、いつから?どのあたりから?
ぜんぶ、見てるってこと??まさか…
…といろんな思いがぐるぐるしてプチパニックに陥り、「今回それをカミングアウトしようと思ったのはねぇ…」から続いた大事なところを覚えていない。
その後の会話が断片的にだけ残っている。
「たまちゃんにとって奇跡講座がすごい大事なものなんだな、って感じるわ~」と言ってた。
うん、たぶん。。
そして「最近のむずかしいよ。『次に続く』ってあって、読むけど『ちょっと待って、休ませて~』ってなったよ(笑)」とも言ってた。
これは、おそらく最近のワプニック博士のテキスト解説本の要約のあたりのことだろう。
そりゃそうだ。その部分はACIMテキストの形而上学を解説したワプニック博士本を、私がうんうんうなって訳し自分なりの理解をかなり大ざっぱにかいつまんだものだ。
私は元のテキストそのものを読み込めていないし、ともかくシェアする前にまとめなきゃと無理くり締め切りに間に合わせたのだから。元のニュアンスからずれた伝言ゲームのようになっているだろう。
熟練したACIMの学習者であれば、足りない部分を脳内で補いつつ読み取ってくれるかもしれないけれど、それにしたって嫌になっちゃうかも(いろんな意味で)。
想定読者層がないブログ
そこで改めて思ったのは、本ブログにはそもそも読者層が想定されていないこと。つまり自分本位の日記ブログだ。
前に関わっていた「マーケティング」の仕事では、とにもかくにも何か事を始めるときには、「ターゲット層」想定ありきだった。その上で競合を含めた市場動向を把握したり自社の強み、弱みを確認したり。。。
読んでくれるかもしれないひとー。
改めて考えてみると、このブログ、まず奇跡講座に関心がない人にはまず読めないだろう。読めるとしたらACIMワークブックをやっている人、過去にやったことがある人、あたりかなぁ?
もし今私がこういうブログがあるのを見つけたとしても、たぶん読まない(読めない)だろう(私はそもそも奇跡講座情報にあまり近づかない、エゴの防衛のせいか~(・・;))。
まあ、日記ブログってどうでもいい独り言みたいなもんだから、別によいのだけれど。
他者視点に欠ける。…親切なブログじゃないな。
友人からの具体的な「ニーズ」
友だちはこうも言った。
「私みたいにスピリチュアルに関心はあるけど、奇跡講座のことは『んっ?』という人向けにもわかりやすく奇跡講座のこと書いて」と。
また「前は奇跡講座のこと知らなくても、読んで気づくことあったよ、奇跡講座にかぎらず『そうかぁ』と気づきがあるようなこと書いて」と(違っているかな、そんなようなこと言っていたと思う)。
これは一つの「ニーズ」だ。応えられるかわからないけど、頭に入れておこう。
私の友人は料理や手しごとが上手なうえに行動力もある。
緊急事態宣言もまだ出ていなかった3月20日頃、安倍さんの4月1日の「国民みんなにマスク送ります」宣言よりいち早く、まだ世間でマスクの手づくりが流行る前に手作りマスク(2枚)を郵便で送ってくれていた。
「あれねぇ、たまちゃんのブログに『マスク在庫がもうなくなる』って書いてたから、それはタイヘンと思って作って送ったの」とも明かしてくれた。
そうだったの(๑°⌓°๑) 愛が感じられ嬉しかった。心強かった…
ありがとう。