2020-04-27
贖罪の原理とは何か
この節では、テキスト4章からとくに「贖罪の原理」に関連する部分を8つ(T-4.Ⅰ.8:5、4.I.11:5-7、4.III.1:4-6、4.III.1:7-13、4.IV.8:2、4.IV.9:6、4.VI.1:6-7、4.VII.3:11-12) 引用し、それぞれについてワプニック先生が比較的短い解説を加えられている。
一つ目は、
「あなたは実相の一部である。実相は不変のままで、自我には近づけないが霊にはたやすく近づけるところに存在している。」(T-4.Ⅰ.8:5)
他の箇所も表現は異なるが、贖罪の原理で言われていることをこの世の言葉でざっくり表現すると、
・私たちは実相の一部
・そして実相は不変
・事実でないことを信じることはできるが、それは幻想の中だけのこと
・私たちの真のアイデンティティーは霊
・その霊としてのアイデンティティーは自我の影響は受けない
・分離は一度も起こっていない、ゆえに真実に影響を及ぼしえない
…というようなことだと思う。
とくに美しいなと思った引用文は以下のところ。
「神の国とはあなたのことである。あなた以外の何を創造主が創造しただろう。そして、あなた以外の何が神の国だろう。これが贖罪のメッセージのすべてであり、それは、その全体においてその各部分の総和を超越したメッセージである。」(T-4.Ⅲ.1:4-6)
この引用文のワプニック先生解説には「神の国は私たちの内にあるのではなく、私たちが神の国なのです。贖罪のメッセージとは、キリストとしての真のアイデンティティーは私たちの狂った想念から何ら影響を受けることはないということです。分離は起こっていないので、その結果もありません。」とあった。
そして私たちの創造が影響を受けないだけではなく、霊の延長である私たちの創造物も影響を受けないこと、神の国は一なる霊、一なる愛、一なる自己であり、二元的な分離の想念は真理が統治する場に入ることはできないとも加えられていた。
「自我とは、あなた自身についてのあなたの信念の一部以上のものではない。あなたのもう一方の生命は中断されることなく続いてきたのであり、そこから解離しようとするあなたの試みによっても何ら影響されずにきたし、これからも常に影響されないままである。」(T-4.Ⅵ.1:6-7)
ここも自我の説明をしつつ、本来の「もう一方の生命」は何にも影響されないと強調されている。
贖罪の重要性を認識することの重要性
神の子としての私たちに瑕疵はない。完全なまま無垢なままだ。素晴らしい!
今は変なところ(この世)にいるように見えていて神の子としての自分のこともほとんど忘れてしまっているけど、その本質はまったく変わらない、なぜなら本当は何も起こっていないから、ということだ。
この節の小さなまとめとして、ワプニック先生は、「贖罪の重要性を認識することで、そこからACIMの主題が発展していくのだいうことがわかっていきます。世界は幻想なので、この世のあらゆる問題の癒しはひとつであり、それは私たちの心配事についても同じです。つまり、間違ってしまった決断の主体としての心に戻り、その誤った選択を変えること。そうすれば問題は消えます。」(訳はだいたい)とおっしゃっている。
また「贖罪の原理とは『奇跡に難しさの序列はない』という理由です。」とも。
贖罪の原理はテキストを通して繰り返されるテーマで、これこそ自我の恐れの根拠となっているという。
一口ずつ…
第4章からテキストを読むのと並行してやろうと思ったが、テキストがあまり読めていない。思った以上に意味が難しくて少し見ただけで時間がなくなってしまった。
テキスト解説本『Journey through the Text of ACIM』も役には立っているけど、まとめていくっていうの続けられるかなぁ?
…そして、解釈だけじゃなくて、実践もある!
そっちが大事。
ふぁ。。。
ゾウを食べるのと一緒。
一口ずつ。。。