2020-03-27
世界という人質?
「自我は幻想を作り出す。真理は、自我の邪悪な夢を光で照らすことによって取り消す。真理は決して攻撃しない。それはただ在るのみである。」(W-pⅡ.332:1.1-4)
「赦しは真理の臨在を招来し、その心の中の正当な場所に着かせる。赦しなくしては、心は自らの不毛さを信じて、鎖につながれたままである。しかし赦しにより、光が暗黒の夢を貫いて輝き、心に希望を与え、心が自ら継承している自由を実現する手段をもたらす。」(W-pⅡ.332:1.6-7)
「恐れによって、世界が虜囚とされています。けれども、あなたの愛が解放の手段を与えてくださいました。」(W-pⅡ.332:2.2-3)
「あなたから自由を差し出されているこのときに、私たちは虜囚のままでいたくはありません。」(W-pⅡ.332:2.5)
『首都感染』
「恐れによって、世界が虜囚とされています」とは、まさに今の世界のことを指しているような。。。
テレビでかな?『首都感染』という本が紹介されてた。
状況が酷似していて“予言的小説”として注目を浴びているのだとか。
「20××年、中国でサッカー・ワールドカップが開催された。しかし、スタジアムから遠く離れた雲南省で致死率60%の強毒性インフルエンザが出現!中国当局の封じ込めも破綻し、恐怖のウイルスがついに日本へと向かった。検疫が破られ都内にも患者が発生。生き残りを賭け、空前絶後の“東京封鎖”作戦が始まった。
感染者の移動を禁止しなければパンデミックは阻止できない
総理は“東京封鎖”を決断した…」
2010年に書かれたという。すごいな。コロナウイルスはまだ弱毒性だけど…こんな状況、創作にしても思い描かなかった(というか、まったく意識を向けなかった)。
図書館で予約を入れたら、さすがにもう何十人もすでに予約していた。
私に回ってくる頃には、すでに治まっていて過去のことになっているといいー。
イエスの警告と対処法
私が“予言的”と思ったのは、先週ブログにまとめたワプニック先生によるテキスト解説本『Journey through the Text of ACIM』の3章6節の一文。
「コースは私たちが無意識と向き合わなければ、感染症のように悪化し、最も不幸な結果につながってしまうと力説しています。(The Course emphasizes that when we do not deal with what is unconscious, it festers like an infection and leads to most unhappy consequences. )」というところ。「deal with (取り組む、関係する、処理する)」をどう訳してよいかわからなかったけど。
初めて読んだ時すでにコロナのことがあって引っかかったが、あえてここにフォーカスするのは不謹慎かなとも感じていた。
でも、改めてどういう文脈のなかで語られていたのか確かめてみた。
それは「抑圧」について語られていたところ。
イエスは私たちが抑圧する「名人(master)」になっていると言い、ワプニック先生は、心の奥底に押し込んだものが魔法のように消えるならいいけど、そうはならない。私たちが陥っているのは、ただの「ダチョウ症候群」だという。
「ダチョウ症候群」…「目の前にある問題や危険を直視せず、何もしないでやりすごそうとする心の状態。米国の心理学者ワイナーによる用語。体の大きなダチョウが、身に危険を感じた際に砂の中に頭だけをうずめ、安全な場所に隠れたつもりになっている様子にたとえたもの。」(by コトバンク)
そしてワプニック先生の解説は「抑圧されたものは、投影されて夢やシンボルや攻撃的な考え方などとなって、意識的体験の中に入ってきます」と続く。その後に、「無意識と向き合わなければ、感染症のように悪化し…」と来ていた。
さらに続く後の文章には、解決策とでも言ったらいいか、「私たちが新しい教師とともに、心の内を覗けば無意識の中身は無を選んだ選択に起因しているのだと認め、喜んで変えることができます。」とあった。
今再読している『神の使者』でも、アーテンが「奇跡的な癒しからエイズ、拒食症、聖痕現象まで、すべて心が起こしている。きみたちが知っている病は一つ残らず、またこれから起こる病もすべて心がつくっているんだよ。病原菌が投影でなくて何だろう?」と言っているところがあった(古い版のでp394)。
そしてこれに対する治癒の方法として、「真の赦しだけが心から無意識の罪悪感を取り除く。『コース』のなかの赦しに関する言葉を考えなさい。」(p395)とあった。
…ということで、この週末。
かたちの上では外出自粛で家におり、
心のレベルでは、聖霊に耳を傾け自分の心のうちを覗き、赦しを実践する、ということになるかな。