2020-03-12
権威の問題とは何か
『Journey through the Text of ACIM』のざっくりまとめ。3章の5項目目「権威の問題(The Authority Problem)」の節(こつこつ読みましたが訳や解釈等間違えているかも。また現時点での理解です)。
最初にテキストの次の箇所が引用されている。
「私はいくつかの異なった徴候について述べてきたが、そのレベルについては、ほとんど無限のバリエーションがある。しかし、それらすべての原因は一つだけであり、それが権威の問題である。それがまさに『諸般の悪しき事の根』である。」(T-3.Ⅵ.7:1-3)
ここでいう「権威の問題」とは、権威・権力を持っている人たちがその力に任せて虐待したりハラスメントをはたらいたりする問題を指すのではない。
そうではなく、フォーカスするのは「権威に虐げられ犠牲にならねばならない」という私たちの意識下にある内なる要請(誤った思考システム)だという。
これは「最初の権威の問題の、影の断片(shadowy fragments of the original authority problem)」だと説明されている。
「最初の権威の問題」とは何かー。
それは最高権威である神に対する私たちの葛藤(conflict)だ。
その背景には「私たちは神を攻撃しその創造の玉座を奪ってしまった。神は仕返しにくるに違いない」という誤った思い込みがある。
それは言葉を変えれば、「私たちの作者は誰か」についての私たちの誤認だという。神が作者なのに、それを自分自身だと勘違いしているからだと。
「権威についての議論は、実は、作者は誰かという問題である。あなたに権威の問題があるとき、その理由は常に、自分は自分の作者だと信じて、自分の妄想を他人に投影しているからである。」(T-3.Ⅵ.8:1-2)
権威の問題の正体
したがって、「権威の問題」を煮詰めると、神を攻撃して神の座を奪ってしまったという「罪悪感」に行きつく。それは「私は罰せられなければならない」という無意識のニーズであり、それがこの世で展開し、「作者としてのあなたの立場を奪おうとする他者が、文字通りあなたと戦っている状況として知覚することになる(T-3.Ⅵ.8:3)」。
そもそも「この世」が作られたのは、その「とんでもない罪」を覆い隠すためだった。「権威の問題」とは、巧妙な自己欺瞞である。
ワプニック先生はこの点について、「私たちは、自分が密かに信じていてーしかし忘れてしまっているー他者にしたことを、あたかも他者の方が私たちにしているかのように思わせるために、自らの力を明け渡しています。私たちがここにいるその存在そのものが、この見せかけがウソだと証言しています。なぜなら、神の場所を奪ったという思いがなければ私たちがここにいることはないでしょうから。」とおっしゃっている。権威問題については、実際関わっている者皆が助けを求めているのだ。
そして「根本的な前提を吟味して手放さないかぎり、この耐えがたいジレンマから解放される道はありません。私たちが創造主から本当に離れたなどということは決してありませんし、したがって、他者への投影はおろか罪悪感もまったく正当化できるものではありません。」と述べられている。
良いニュース
「良いニュース」は、神に対する私たちの「罪」は夢の中の出来事なので夢の外では実際にはまったく結果を伴わないことだ。
「私たちに、どこを見るべきかー肉体ではなく心だーと明らかにしてくれるものこそが奇跡なのです。」
「キリストとしての私たちの力は『自己』の正しい心の記憶である聖霊によって、私たちのために『保持』されています。それは、真の作者を思い出させてくれるものであり、最終的には私たち自身の作者だと思っていたものを見つめ、それに反する決断を可能にしてくれます。」と説明なさっている。
読み終えて
権威の問題は、私は物心ついたから母との間にあったように思う。絶対権威者として君臨した母は、私の内なる神のイメージを重ねたもので、私はワプニック先生の指摘どおり「罰せられなければならなかった」と思っていたのだろう。すべては、私の要請を受けたストーリーだった…。
この世には虐待の問題、ハラスメントの問題がたくさんある。そういう具体的な問題への対処はもちろん必要なのだろうけど、ワプニック先生が教えてくださっているのは、心の中の(誤った)要請と投影問題がなくならないかぎり、この世の問題もなくならないということだ。
つい世の中の由々しき問題や自分が他者から受ける理不尽な“仕打ち”に目が向くけれど、この世的な対処と同時あるいはその前に必要なのは、まず自分の心の中の権威問題(=「私は権威に虐げられ犠牲にならねばならない」という無意識の願望)を意識することかな。
世の中に長く継続してきたことだし根深い問題だから意識しにくい。その最初の問題を知ると、なるほど、私だけにあるのかと思っていたこの問題はいろんなかたちでほとんどすべての人に共通するのか、と納得する。