2020-03-02
必要=欠けている=神の代わり?
私がACIMと出会うきっかけとなった『神の使者』にはこんな一節があった。アサンディッド・マスター、パーサの言葉だ。
「たとえば何かに深い欲求を感じたとしたら、それは自分を身体だと、あるいは何らかのかたちで神から離れたと思っているってことなのよ。そうでなかったら欲求を感じたりするかしら?」(13章 真の祈りと豊かさ)
「もう一度言うけれど、物質的なものをすべて放棄しろとか、そんなことを言っているんじゃありません。見方を話しているの。何かが必要だと感じたらー必要だってことは欠けているってことねーそれは神の代わりに過ぎないし、ほんとうの問題は神から離れたという思いだけだと思い出すのね。」
私には欲しているというよりも手放せないでいるものがある。もちろんたくさんあるけど、この春意識したのは二つ。
自分が持っている経営の「資格」と昔作った「会社」だ。
手放せないでいるもの ①資格
資格は20代の後半に取った。会社というものに興味があった。人が共同で何かをすることで足し算ではなくシナジー効果を発揮するしくみがすごいなと思った。
若さとは勢いだと思う。運よく1年足らずで取れた。
会社のことはよくわかっていなかったけれど、受験者の平均年齢が高かったなか若さゆえ試験対策ができたのが強みとしてはたらいたと思う。
しかし後々気づくのだが、私は実践的経営センスに欠ける。
そして当時から歳を重ね、自分の関心も経営的なものから精神的なものに移っていった。
数年前からまったく使っていない資格だけど、それでも手放せないのは、ずっと私を説明する「アイデンティティ」の役割を果たしてきてくれたから。惣菜屋さんをやめてから仕事を探したときに比較的すぐに派遣の仕事が見つかったのも資格のおかげかな、と思う。
この資格は5年に一度の更新が必要で、この春がその更新年度だ。
更新には更新要件があり、毎年の「研修」を受けることに加え、要件を満たした「実績」が必要。
ようやく2月に入ってからある準公的機関に数年前にやった仕事の「証明書」を依頼した。すでに部署の方も異動になっていて、実印を押した依頼書を送らねばならないなど話を通すのが少し大変だった。
この資格は今後も使わないかもしれない。いや自分に正直になったら、もう経営のことはしないんじゃ?
それでも今まだ手放したくない、と思う。
手放せないでいるもの ②会社
もう一方の「会社」は私がフリーランスで仕事をするために作った。
今は事実上、休業状態だ。情けないことにもうずっと前からまったく会社の体を成してない。
過去にお手伝いをした書籍編集からの印税(過去のものが電子書籍化したり音声書籍化したり、他国で発売されたりの)がわずかにあるが、給料等出せるレベルじゃない。今後も活動しないなら毎年法人事業税を払って持ち続ける意味はないだろう。
昨年末やめようかな、と思ったけれど、決断に至らずずるずる来た。
これも「なんちゃって自営業」という隠れ蓑を手放したくないためか。。。
この二つは、パーサがいうとおり私にとって「神の代わり」なのかな。
それとも、ご飯を食べるのにお箸が必要でも「箸は、神の代わりか?」と悩まないのと同じくらい、詰めて考える必要ないことかな?
この春は「手放せないもの」として意識に浮かんだ。
さて、これからどう生きよう。
こんにちは、お久しぶりです。(^^)
その資格、もしかして、
中小○○診断士、ですか?
#コメントまずければ、
#コメント非公開にでもしてくださいませ。
お~、くさちゃん、お元気ですか。
今年雪は少ないんですか、やっぱり。
資格、あ゛~、~~かも。。(・・;)
わー、ブログ読んでくださっているのうれしいです。
おかげさまで、こちらは元気です(^^)
本当に今年は、これまでになく雪が少なかったです。
スタッドレスに履き替える必要がなかった…。
某資格のこと、なぜ聞いたかというと、
僕にとって、ある意味転機となった資格だったからなんです。
以前のブログで、そのことを書いたことがあり。
https://ameblo.jp/kibo-station/entry-12080134039.html
#余計なことまで書いてますが…
なぜだか分かりませんが、
タマさんはその資格を持っておられたのですね~。
なかなか受かる資格ではないですし、
タマさんはいわゆる「できる人」なんだなぁ~、
と思いました。
自信を持たれたらいいと思いますよ(^o^)
ではまた~。