『高級霊(ハイスピリット)は上機嫌』

2020-02-10

高級霊ハイスピリットは上機嫌

前回の『Journey through the Text of ACIM』「3章 恐れ、抵抗、そして贖罪の原理」ざっくりまとめで、「外側を聖霊の目を通して見る、とは、簡単に言うと『いつも機嫌よくいること』かな、と思う(私見)」と書いたけど、私見というのはおおげさだった、他でもよく言われていることだよな~と思い返した。

『高級霊は上機嫌』そして昔読んだ本を思い出した。

『高級霊は上機嫌』だ。

著者の五井昌久さんは大正5年生まれ。宗教法人白光真宏会の開祖で、以前よく街角で見かけた「世界人類が平和でありますように」のステッカーを提唱、実践された方だ。

私は組織宗教には縁がないのだけど、本をブックオフで見かけて読んでから尊敬するようになり、中古本を見かけるたびに買っていたので、家には五井先生の本がけっこうある。

『高級霊は上機嫌』は、昭和30年代になさった講和をまとめた本のようだ。

英語で「high sprit」は「上級霊」、「in high sprit」は「上機嫌」だから、「自分の霊性を高めて保つには、まず上機嫌でいることが最も大事なんだよ」と説く。

久しぶりに本を手に取って、他にどんなことを説いておられたんだっけ?(尊敬していたわりにすっかり忘れている)とパラパラめくりながら、読み返したらACIMと近しい内容があるのに気づき、おもしろいな~と思った。

五井先生の考える世界

五井先生の考えの概略はつぎのとおり。

「人間の真の姿は、神の分け命(分霊)であって、業生ではなく、つねに守護霊(祖先の悟った霊)と守護神(大天使)に守られている。

この世のすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤った想念が、その運命とともに消えていく時に起こる姿である。

だから、何か辛いことがあってもそれは業想念で、消えていく姿なのだから、消えていく姿、消えていく姿…と祈り、自分を赦し、人を赦し、自分を愛し、人を愛す。

愛と真と赦しの言行をなし続けていくとともに、守護霊、守護神への感謝をつねに思い、世界平和の祈りを続けていけば、真の救いを体得できる。」

言葉を少し変えるとACIMの世界観と似てる

その世界観は、純粋な非二元論ではない。「世界はない」とは言わず過去世を認めているが、心の世界とこの世の世界はつながっていて、この世は思いのうつしとおっしゃっている。

「守護神」→聖霊

「業」→自我(エゴ)

「本心」→正しい心

「消えてゆく姿」→赦し、赦しの対象や機会

と読み返るとACIMと重なるところがあった。一緒ではないが言わんとしていることは近しい気がする。

以下にいくつか書き出してみた(太字は私が勝手にした)。

上機嫌でいること

p10「自分にどんな理屈があっても、どんなに自分がよくて相手が悪くても、またどんな悪い環境にあっても、上機嫌でなければだめなのですね。不機嫌になること、怒ること、暗くなることは一切消えてゆく姿なのです。(中略)

ハイ・スピリットになるには、あくまで上機嫌でなければならないのです。」

p14「ですから第一歩として、自分の感情想念と輝いている本心の自分とが、ハッキリ二つに分けられればいいのです。“今さかんにが出ている。しかしこれは消えてゆく姿”というように思えればしめたもの。あとは時間の問題です。(中略)

神様を思っている自分と怒ったり妬んだりしている自分とは違います。不安がっている自分とも違います。それは消えてゆく姿なのです。」

p16「悪をつかんではダメ。悪はまちがった想いの消えてゆく姿。実在するものではない。ですから本当の自分だけをつかめばよい。本当の自分とは何か。上機嫌の自分です。」

人間は初めから神の子

p17「人間というものは初めから神様の子で、はじめから汚れもなければ、病気も貧乏も悪いこともないものなのです。本当はそういう世界なんだけれども、それがこの地上界にうつし出されてくる過程として、完成への過程として、悪いように見えているだけなのです。だからこれからよくなるのではなく、消えてゆく姿です。」

p24「本心は神の子であって光り輝いているのだ。悪いことをしたりいたずらしたり、恐怖したり、人をいじめたり自分をいじめたりするのは、想念なんだ。ああそれは消えてゆく姿だ。本物ではないのだ。(中略)

(それを)どこへやったらよいかとさがしているうちに、守護霊守護神をみつけたんだよね。守護霊守護神へ入れてしまえばいいんだ、もっと広くいうと世界平和の祈りの中へ入れてしまえばいいんだ、というわけで想念を世界平和の祈りに全託してしまったのね。

そうすると、ホラ自分の本心が現れてくるでしょう。」

いやなことをいやでないようにする

p33「例えば自分をいじめる夫なら夫、妻なら妻があったとする。(中略)現象の現れの日常生活でもって、ためにならないけれども、魂の世界の訓練のためにはどれだけためになっているかわからない場合が多いのですね。」

p39「“それは一日も早く想念が消えてゆくのだから、本当は感謝しなければならない。しかしあなたがまともに感謝するということが出来ないだろうから、ああこれは消えていく姿なんだなあと思いながら、世界平和の祈りの中に入れてしまえば、業想念を消しながら世界人類の平和を願う祈りによって、光り輝いてゆくのだ。”

とこう私は教えているのです。」

キリストの再臨とは

p63「キリスト教では人間が死んでしまえば、キリストが再臨するまでそのまま霊界でねていて、それで再臨した時一緒に生れ更ってくるのだ、とそんなことを説いているのもあるのです。そんなバカなことはありゃしないね。亡くなったらすぐ向うの世界で働かなくてはならないしね。(中略)

キリストの再臨というのは、イエスが再び生れ更ってくるというんじゃなくて、キリストというのは真理ですからね。真理が、真実の姿がいろんな人に現れてくるわけね。(中略)みんな真理を現わす、みんな神の子の姿を現わすということが、キリストの再臨なのです。」

正すべきは、神から離れた想い

p110「だめだ、だめだといっているうちは、だめなんです。だめなものは何かというと、それは神様と離れた人間の想いなんです。神様を離れている想いはだめなんです。

神様と一つになっている想いは愛なんですよ。何故なれば、神は唯一なんです。一つなんです。一つなるものが守護神に分れ、守護霊に分れ、或いは分霊として何十億に分かれているわけです。この元を正せば一つの神様の中にあるわけ。」

p111「人間というものは分れているけれども実は一つなんです。アメリカ人であってもイギリス人であっても、ロシア人であってもみんな元は一つなんです。けれど現れとしては二十数億に現れているのです。(中略)本当は相対的というのは現れの世界だけであって、霊の世界、魂の世界においては相対じゃなくて、絶対なのです。絶対から出ている光なのです。」

肉体人間と霊体人間は違う

p111「人間は神の子人間なんです。それを神というものを忘れて、肉体人間というものになってしまった。私は人間と書かないで、いちいち肉体人間、肉体人間と書いています。なぜ肉体人間と書いているかというと、肉体人間と霊の人間は違うからです。肉体人間というのは物質なんです。霊の人間というのは(中略)光なんです。光の体なんです。それがわからないと、いつまでたっても人間はよくならない。」

ACIMを生きるヒントにしようかな

ざっと目に入ったところを書き出したら、たくさんになってしまった。これ以外にも、不満をもつ相手の肉体ではなく守護神を見る、や医者や薬を敵にしてはいけない、などなど。昔の本なのだけど、古さを感させない。

語り口調がきさくで、話が日常的(昭和30年代の話だけど)で、とっつきやすい。いらいらしたり怖くなったりしたら、「消えていく姿、消えていく姿…」と唱えて赦すのもいいかもしれない、と思った。

ACIMのハシゴの先が見えず日常的にACIMを生きる方法が今ひとつぴんと来ない、かといってハシゴを下りるわけにもいかず…、と思っていた私は、五井先生の考えもヒントにしてみようかな、と思っている。

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