先延ばししていること

2019-10-30

自分に言い訳…防衛、先延ばし

対処しなくてはならないが、もう1ヶ月以上先延ばししていることがある。

それは、病院へ行くこと。

区の健康診断の結果を受診した病院で聞いたとき、医師から「異常あり→専門の科で要治療」と言われたのに、まだ行けてないのだ。

受診すべき科は「泌尿器科」。

若いころ膀胱炎を繰り返していた時期があった。そのときお医者さんが「次なったら、尿道にカテーテルを入れて診てみましょう」と言われ、「え゛っ」となったことがあるのを思い出した。結局それはそのままになったけれど。

今はもう医療技術も変わっているのかもしれないが、男のお医者さんはやめよう。泌尿器科で、女医さん。

健康診断を受けた病院にもいらっしゃるみたいだけど、ここは紹介状がないと「選択医療費」なるものがかかるらしい。病院の口コミは…?やはり近場がいい…?などと思っているうちに日が経ってしまった。

ここ10年くらい疲れやすく気力体力が乏しく一日にできることが少ない。つい目先のことに気を取られ後回しになってた。

しかしこれは言い訳だな。

もう11月になる。いくらなんでも…。

根っこに在る大きくて深い「人間不信、対人恐怖」

昨日ワーク中、そのことに意識を向けてみたら、やはり「病院に行く不安、恐怖感」が邪魔をしているようだった。

その恐怖感の質をもう少し吟味する。

自分を肉体だと思っていることを前提に、

そのコントロール権を誰かにゆだねなければならないことへの不安、恐怖があるようだった。

病気そのものも怖いのだけど、

医師という権威者に対して、自分の体を委ねることへの恐れ、「とんでもないことに巻き込まれちゃうんじゃないか」というのが率直な感じだった。

そして、こうした私の不安には、「人間不信(男性不信も?)、対人恐怖」が根っこにあるようだった。これがとても大きく深そうだ。その上に「被害者意識」が乗っかっていた。

私は、「お母さん」が物心ついた頃からとても怖かった→だから、私は内向的で対人恐怖があるのだろう、と思っていたが、ACIMを学ぶようになって、それは逆だと知った。

「神との分離」という誤解を発端に、ただひとりの神の子がこの幻想世界でバラバラになったていで自らを投影している。ここでの現れ方は人それぞれで、私は人間不信・対人恐怖が強い幻想分身で、それを合理化させるために「私の生い立ち」が必要だったのだ。

監督、脚本、キャスティング…すべて私。母には「私の人生物語」に乗って「特別な関係」役を引き受けてもらったまでなのだ。

ふだん「赦しが大事…」と言いながら、最も光を当てるべき案件があるのに見ないようにしていたのだから、やれやれだ。

やっとその恐怖を意識のテーブルに乗せて、、あまりにも根っこが深そうなその上から出ている草の端っこだけ引っこ抜いた。

それから女医さんがおられる病院に電話をして、受診する先生をこちらが指定することは可能なのかどうか聞いた(女性だからいいというわけではないのだけど、少しでも抵抗感を低くするためにゲンジツ的にできることも…)。

そうしたら、「できます。受診には予約が必要」とのことで、そのまま予約、翌々日の受診が決まった。

ふ~、たった「病院を決めて予約」までに1ヶ月半。

こんなことじゃ、ACIM学習者としてというより、ただ人間として、人生の先行きがたいへんだな、と思いやった。

すべて、すべて赦しの機会なのだけど、最初から見るのを嫌がり避けちゃうんだよな~、はぁ。

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