2019-10-26
狂った天職!?終わりへ…?
「私の感謝により、私は恐れをもたずに自分の愛を受け入れられるようになる。そうして、私はついに自らの実相へと戻される。私の神聖な視覚に侵入したものを、赦しがすべて取り去ってくれる。」(W-pⅡ.298.1:1-3)
「そして私は、無意味な旅や狂った天職や人為的な価値観の終わりへと近づく。」(W-pⅡ.298.1:4)
「それらのかわりに、神が私のものとするものを受け入れ、そうすることにおいてのみ、自分が救われ、恐れを通り抜けて私の愛する 存在 に出会えると確信している。」(W-pⅡ.298.1:5)
「私は恐れをもたずに自分の愛を受け入れるようになる」という文章を書き写していて、じゃあそれまでは「自分自身の愛というものに恐れを感じていたのか」と、改めて思った。
無限の愛なんてものがあるのなら、ここにいるエゴはまがい物だということが、バレてしまう。そうしたことを恐れているんだろうか。
このレッスンの中ではとくに「狂った天職」という文言が目を引いた。
私は、若い頃「天職」という言葉が好きで惹かれていた。「それがわかれば諸々のことが解決し、スペシャルな私に格上げされる、、その天職ってなんだろう?」と。今もすこしその気持ちは残っている。なにか素敵な響きをもった「天職」…
その「天職」を形容するのに「狂った」が選ばれるとは…
狂った天職の終わりへと近づく…か。。
新宿駅で男性に声かけられる
視力の悪化に伴い作ってもらった遠近両用メガネ、今度はパソコン画面の文字が見えなーい、となっていたのを、作ってもらったメガネ屋さんに相談に行った。
「1ヶ月間は無料調整します」とのことだったけれど、これは頼む際気づかなかった私のミスだし一度使ったレンズを交換なんてしてもらえるものか、人と話すのがヘタになっている私が状況や要望をちゃんと説明できるか、など考えている間に日にちが経ってしまった。
たったこれだけのことにさえキンチョーしてしまい気合が要る。
メガネ屋さんは親切にも「それじゃあ、単焦点で眼から50cmで合わせましょうか、ブルーレイカットレンズで」と快くレンズ交換を提案してくださった。安価になるらしくレンズをより薄くすることで金額の差をなくした。
できあがりは一週間後。さらに中近用の新しいメガネを、なんてことになったらどうしよう、と思っていたので、ほっとした。
帰りの新宿駅。けっこう混んでいる駅のなか。
「すみません。」
後ろから回り込んで目の前に男性が現れた。20代くらいの細身の人。
??
「白髪染めモデルになっていただけませんか?」
!?「あ、いえ…」
早足で逃げるようにその場から去る。歩きながら考える。
え、そんなに目立つ~?最後に染めたの10月の初め。まだそんな日が経ってないはずだけど。
こんな大勢ひとがいる中で、私!?
新宿駅、苦手意識があってあんまり近づかないようにしてたけど、やっぱり苦手だ(^∀^|||)
こういう私の反応も、レッスン298で言うところの「終わりへと近づく」「人為的な価値観」なのかな。
まだまだ私その次元に行けそうな気配ないなあ。