夏まつり後のあの感じと、ちょっとした気づき

2019-08-26

色えんぴつ画展終わる

昨日の夕方習い事の発表会「色えんぴつ画展」が閉幕。

先生の「皆さん、お疲れさまでした」の挨拶の後、20クラスあるという教室の生徒がそれぞれ作品を自分で壁から取り外して持ちかえった。壁はどんどん元の無機質なものに返った。

それは何だか夏まつりの後みたいで、「あぁ、今年の夏がいく」とふと感じた。

開催中は友人たちと3回来て、ランチしたり夕ご飯食べたりしながらおしゃべりした。

話題が、健康話、親の介護、これからの自分の生き方…に集約されるのが可笑しかった。Hさんは私より10歳くらい若いのに「終活始めたんだ」と言い私を驚かせ、よくよく聞くとそれは老い支度みたいなことだった。

「自分を幸せにするもの」

Kさんは、「これからの残りの人生、せっかくだから“自分を幸せにするもの”の傍にいたい。それって何かなと改めて考えてるの」と言った。

私は「何かの本に『誰と生きるか、どこで生きるか、何をするか』が核だって書いてあったよ。」と答えた。

するとKさんは、利便性アップのため引っ越しを考えて物件を見ていたが、今の住まいの「風」がやっぱり好きだからと思いとどまったという。

「風通し大事よぉ~、私を幸せにするものの一つは『風』だわ~。」とKさん。

「そういうの、たくさん思いつくまま書いてみるといいかもね。改めて考える機会ないし、すぐ忘れちゃうから。」と私。

「人生でやっておきたいこと」

話はそこからいろいろ流れ、「人生でやっておきたいこと」に。

「たまちゃんは、『奇跡講座』はむずかしくてとっつきにくいから、私は易しくとっつきやすく表現したい、って前に言ってたよ。」とKさん。

へ~、そんなことを…

確かにそういう思いはある。

友人がしっかと覚えているくらい“熱く”語っていたのか。。

「う~ん、そうなんだけど、なんか自己表現にブロックみたいなのもあるんだよね。」と私。「奇跡講座について表現するって言っても、ブログはハンドルネームだからまだいいとして、私が何か書いたり表現するってできないよ。」と続けた。

「え、でも、絵は本名で描いてたじゃない?」とKさん。

「絵はねー。だって私絵にアイデンティティやプライドみたいなもん、ないし。」

話はそこから別の方向にまた流れた。

『奇跡講座』に対する私のエゴ発覚!?

きのうACIMワークの際、この時の会話がぼんやり思いだされた。

私はACIMに関して表現することにブロックや抵抗を感じている。

でも、絵はヘーキ。

なぜって、そこにはアイデンティティやプライドみたいなもんがないから。

えっー?

ってことは、私は、ACIMには自分のアイデンティティやプライドを持ちこもうとしているわけ??

ん?

そのアイデンティティやプライドって、よくいう小我ってやつじゃない?

エゴの執着を解こうというワークをやっているつもりが、『奇跡講座』自体をエゴの執着拠点としているのか?

そういうのは薄々感づいてはいたけど、会話からぽろっと確証を得たのが興味深かった。

肉体をもってこの世に生きている限りアイデンティティやこだわりがまったくなくなることはないだろうけど、妙な自尊心だったり羞恥心だったりは邪魔だな。

…これ以上分析するのは止めよう。

もちろんエゴの要請だけで学んでいるわけではないと思うし。

『奇跡講座』に関わらず、本当に関心あることややりたいことって、私の場合そこにコンプレックスみたいなものが絡む。一番やりたいこと、関心があることに近づこうとすると心がザワザワしてなかなか近づけないのだ。

思い返したら、ライター業やっていた時も、人のインタビューとか「一般的にはこう見る」みたいな記事は書かせてもらっていたけど、自分の名で自分の意見を発表したことってまったくないんだよな~

それは寂しいことだよなぁ。

今世では率直に思いを出したいなぁ。

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