2019-08-24
色えんぴつ画展、それぞれの自己表現
今週は火曜日から6日間、色えんぴつ画を習っている先生主催の「色えんぴつ画展」が開催中だ。
これは、ピアノを習っている方にとっては“ピアノの発表会”みたいなもの。生徒みんなの発表会だ。教え子から独立してプロになった方々も出品なさる。
私は勘違いして13日のブログで「総勢160名、総展示数350点以上」と書いたが、これは多すぎた。正しくは「総勢160名、総展示数250点以上」だった。
私が参加するのは3回目。去年はギリギリまで仕上がらず、先生からせっかくいただいた案内ハガキを出せなかったが、今年は何とか出せた。…とは言っても、こういう案内を出して唐突感がない友人、知人はごく限られるけど。
ありがたいことに、案内を出した何人もの方が「行ってきたよ!」「素敵だね(まぁ、ふつうはこう言ってくれる)」とメールをくれた。この蒸し暑い季節にわざわざ足を運んでくれて、申し訳ないような、ありがたいような、恥ずかしいような…。
これも愛だなぁと思った。だれかのために、わざわざだいじな時間を使うって。。
何人かの友人たちとは、久しぶりだしせっかくだから一緒に行こうということになって、おとといは絵本作家のHさん、昨日は5ヶ月ぶりに会う友人のKさんと一緒に行った。
風景画なのか、静物画なのか、人物画なのか、はたまた動物画なのか、しかもその中でもなんでそれを選んだのか。切り取り方もそれぞれだし、濃いタッチ、淡いタッチ、黒々と陰影をつけたスーパーリアルな表現、デザイン画に近いものなど、同じ色えんぴつでもさまざまな“個性”があって、それだけでも興味深かった。
「絵を描く」ことを特別に考える必要はないのかもしれない、と思った。幼稚園の頃、みんなが描いていた、あの延長で好きに描いても…。みんなが芸術を極めなくてもいいんだ。
友人にゲイリーさんワークショップ後…を報告
昨日は色えんぴつ画展後Kさんと夕ご飯をご一緒して帰った。初めてのシンガポール料理、ラクサやチキンライス、おいしかった。
Kさんは気が合ううえとても分析力や洞察力も長けていて、いつも会って近況を話すだけでいろいろ気づくことがある。前回、私がゲイリー・レナードさんのワークショップに初参加することになったと伝えたときには、彼女は「それが転機になるから今年のすべては、それからだね!」と予言めいたことを言っていた。
「それがね、本当に転機になったよ!」と報告。「私、翌週の京都ワークショップも一日勢いで行ったんだ。生ゲイリーさん、よかったよ!!」
「それからね、勉強仲間ができてね、月に一度ワプニック博士っていう先生の未翻訳の原書の読み合わせしているの~」と、ここ数ヶ月の変化を話した。
英語力が追っつかず、意味をつかむのに時間がかかること、わかったと思った先からすぐ忘れるから“翻訳”を試みていること、みんなの足を引っ張ってるんだけど、、というような話もした。
彼女は海外生活も長く英語もできる。「仲間の人たちもシェアしたかったんだから、“足を引っ張ってる意識”はいらないと思うよ。」としつつ、「だけど、訳しちゃっているのは時間がかかりすぎ。英語を英語のまま理解できるよう訓練したほうがいいと思う。逐語訳じゃなくてざっくり何が書いたあったかまとめといたら?」と。
う~む。やはり的確なアドバイス。
そうなんだよな。
もうしばらく今のまんまやりながら、もう少し“効率的なやり方”考えようか。
色えんぴつ画展をきっかけに、いろいろな方のいろんなかたちの愛を感じてる今週…夏バテもまた愛し。盛夏が去りツクツクボウシが鳴き出した。