2019-08-15
お盆らしい一日
昨日は早朝5時に家から数分のところにあるお墓にお参りに行った(老人の朝は早く母は日が照る前に行きたいという)。
午前には和尚さんが家に読経に見えられた。
仏壇に精進料理のご膳を並べる。お父さんは肉が好きだったけどな。和尚さんの後ろで母と並び、美しく響くお経を聞いた。
午後は分骨してある仏舎利塔に母とタクシーで出かけ、お参りをしてきた。
そしてまた夕方、お墓参りへ。
故郷のお盆の一日。
仏舎利塔でお参りを済ませて靴を履いた直後、母の携帯電話が鳴った。
母がカバンから取り出して見ると、それはなんと私からの電話だった。私がズボンのポケットに入れていたiPhoneが誤作動して発信してしまったのだ。
よくポケットに入れてウォーキングしたりしているけど、こんな誤作動はめったにない。しかも母へ電話!?
私はそれを、天国の父からの電話だと思った。
「来てくれて、ありがと!こっちも元気でやってるよ。」という―。もちろん私の勝手な解釈だ。
“針のムシロ”の上で寝ていた
同じ日の明け方、瞼の向こうに白んでいく空を感じながら、「あ~私、、、“針のムシロ”の上で寝てる」と感じていた。(言葉の使い方おかしいんだろうけど)
針のムシロ?
どういう意味?
まどろみながら考える。
それは、「罪悪感」だった。
どんな?
浮かんできたのは、
「家の跡を継げずにごめんなさい。」だった。
ご先祖様の遺影が並ぶ居間の続き間に寝ていたから、そんなこと思ったんだろうか。
浮かび上がってくる“罪悪感”
私は、妹との二人姉妹で幼い頃から「跡取り娘」と呼ばれてきた。家意識が強く保守的な昭和40年代の富山で、母は嫁としての責任を果たそうと思ったのか、物心つく頃から私に「あんたは普通の女の子じゃないのだから」とよく言った。
当時「普通の女の子じゃない」の意味はわかっていなかったが、職を持つこととお婿さんを迎えて家を継ぐことを指していたらしかった。
「家の跡を継げずにごめんなさい。」
私は、親の期待にまったく叶えることができなかった。
「跡を継げずにごめんなさい」の奥には、「男の子でなくてごめんなさい」もある。
自分がこんな観念を持っていると気づいたのは40歳を過ぎてからだった。私は若い頃とても“男女平等意識”が強かったが、それも自分の劣等感から来ていたのだなぁと思う。
今はもう誰も私に期待していないのに、私の中ではまだこんな罪悪感が渦巻いている。東京ではまったく忘れてるのだけど。
私が帰省するのは、とくにお盆やお正月など「家」を意識する時期だから、申し訳なさや情けなさが疼いてしまうのだ。
もちろんこれらは、二元論的見方だ。「神との分離」の別バージョンとして自らが脚本を書いて完全没頭型幻想の中で自演もしているのだと知っている。
その“対策”はお墓でご先祖に謝ることではなくて、赦すことだとも学んでいる。
でも、私の心の深いところに、とても大きな気持ちがあって、それが故郷に来ると上がってくる。昨日の朝は“針のムシロ”を感じながら、涙まで頬を伝ってしまった。
感情を目いっぱい感じた後、それを手放そうと努めた。
少し楽になった…が、まだまだ埋蔵量は計り知れない。
やっぱり故郷には埋めた感情がたくさんまだ眠っている。