ACIMワーク270-私は今日、肉体の目を使わない。

2019-06-16

ACIMワーク270-私は今日、肉体の目を使わない。

父よ、キリストの心眼ヴィジョンはあなたからの贈り物です。それは、肉体の目が見るものを、赦された世界の光景に変容させる力をもっています。」(W-pⅡ.270.1:1)

赦された世界は、あなたの子が自分の父を認めていることを示します。そして、その世界において、彼は夢を真理のもとへと運び、あなたについての記憶が戻り時間が永遠に終わるまでのあと一瞬を、期待の中で待つのです。」(W-pⅡ.270.1:4)

かつてワーク時参考にしていた「A Course in Miracles Workbook精読」(大畑学著)で大畑さんは、レッスン42「神が私の強さである。心眼は神からの贈り物である。」の解説中「キリストの心眼」とは「救い主のビジョンであり、神の子全体を幻想から実相へと目覚めさせ救い出すためのものの見方」と説明なさっていた。

また「幻想を実在だと錯覚する肉体的な知覚に換えて、真実を見抜くキリストのヴィジョンがあなたに与えられた」という説明があった。

私にはまだキリストのヴィジョンを実感できていない。前より世の中の透明感が増したようには思うけどそういうことじゃないんだろうなぁ。

主題概念の「私は今日、肉体の目を使わない。」とは、今日エゴの見方によって罪悪感や恐怖をこの世のスクリーンに映し出さない、幻想を実在だと錯覚しない、という宣言なんだろう。

私は、今はダメダメだけど赦しをちょびっとずつでも重ね、玉ねぎの皮を一枚一枚むくように少しずつ眼のくすみを取り去って、やがてもっと「キリストの心眼」で見ることができたらいいと思う。その結果の世界を見てみたい。

色えんぴつ画教室では「眼で見ること」の大事さを教わる

先週は月1度の色えんぴつ画教室があった。ここでは「眼で見ることの大事さ」をいつも教わっている。

絵は手で描くのではない。基本は眼で見ることだという。見えてないと描けない。

今回は自由画で、私は今春の帰省時に母と行った喫茶店を描きたいと思った。その時間を切りとって取っておきたかったのだ。

薄暗いお店に外から明るい光がさしてテーブルに反射している。

私はどこからどう描いていいか描くのが難しいと感じたが、先生は「絵としては難しいものではない」とおっしゃった。

描き方は「ともかく明暗を。暗いところを青で塗るのが先」と。そして、

光が描きたければその傍の影をしっかり描くこと、

光を感じるところは塗るのではなく塗り残すこと、

と教えてもらった。

うーん、二元性っぽいな。

今まさに二元性の世界にいて二元性の世界を見ている。

いつも足していく発想でいるから、「白く塗り残す」というのが逆に難しく感じた。

肉体の眼で見ることを大事にしながら、私の罪悪感と恐怖感が減じられていけば、きっと見える世界は変わってくる。

そうしたら描く絵も変わってくるかな。そういう世界を描けたら素敵だな。

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