2018-12-31
故郷での大晦日
紅白歌合戦聴きながら、ブログを書いている。横では母がテレビに逐一反応して声をあげている。
昨日から、買い出し、掃除、神棚や床の間、仏壇、玄関に花を活け、1月2日にはお寺から読経に来られるからその準備。おせちの支度…。
全部母主導で私は言われたことをやるだけ。
わが家のお雑煮は、(富山県内はみんなそうなのかな)醤油ベースのけんちん汁みたいななかに焼いた鯛の身を入れたもの。
魚屋さんで焼いてもらった鯛から骨を取って身をほぐす料理以前の作業は、例年私の役だ。
亡き父はお雑煮にはどんな細かいものでも骨が入っていることを嫌ったから、どんな細かい骨も見逃さないことが重要だった。今日も骨を見逃していないか二度チェックする。
鯛から骨を外していく作業をしていると、ああ、命をいただいているんだなぁと思う。
故郷ならではのお正月。
こうした風習も母がいてこそだ。
私ひとりだったらやらないだろう。
東京にいるなら、なおさら。
お雑煮さえも作らないのではないかと思う。
幼い頃はあたりまえだった風習。母に付き合うかたちでやっているけど、私の中にはもはやないものだな。
それはなさけなく寂しいことかもしれないけれど。
『絵本つくりかた』
帰省直前に、Amazonで『絵本つくりかた』という本を手配して届いた。
12月12日や12月19日の記事にも書いたけどACIMワークをしているとき、何度かこの本のイメージが浮かんできて「買ったほうがいいかな」と気になっていたのだ。
絵本に関心はあるけど具体プランがあるわけではないし、買いたい本なら他にあるから、と買えないままきた。でも、勘違いかもしれないけれど、聖霊さんからの何かヒントなのかもしれない。
暮れも差し迫った今、聞いておいたほうがいいんじゃあ?
そう思って買ったのだ。
中はまだ見てない。
来年は聖霊の声がもっと聴けるかなぁ。従えるかなぁ。
まあ、私次第なのだけど。
ACIMワーク232-父よ、一日中、私の心の中にいてください。
レッスン232も短いけれど、根幹となるいい教えが書いてあるなぁ。しかも平たい言葉で。
「1分、1分があなたとともにいる時間となりますように。」(L232-1-2)
「そして、あなたがともにあり、私の呼びかけを聞き、私に答えるために常にそばにいてくださることに、毎時間、感謝を捧げるのを忘れずにいられますように。」(L232-1-3)
「今日、恐れの終わりを練習しなさい。
あなたの父である神を信じなさい。
すべてを神にゆだねなさい。
神にすべてを明らかにしてもらいなさい。
そして、あなたは神の子なのだから、うろたえずにいなさい。」(L232-2-1,2,3,4,5)
とくに心に染み入る言葉を書き出していったら、全部になりそうだ。
このブログ、この世のあたりまえに立っているかのかと思うと、次の瞬間にはACIM的価値観に立っていたりと(ACIMにちゃんと立つとすべてはメタファーで何にも書けないけど)、意味不明で思いやりに欠ける。
それにもかかわらず、
立ち寄ってくださった方、どうも どうも ありがとう。
たくさん素敵なことが来ますように!