2018-12-12
冬だ、冬。一年て、早い。
4日ぶりのブログ。
急に冷え込み、すっかり冬になった。
手がかじかむ。
そうそう、こんなだった、去年も。冬の寒さを思い出した。
あ゛~、引っ越しの時、加湿器じゃまだと思って、リサイクルショップに引き取ってもらったんだ。ミスった。
今年の冬だって乾燥するー。他区だって乾燥するー。
気が大きくなっていたのか、、、。あの時は、ただ物を減らしたい衝動にかられてた。
年末が見えてきて、、一年ってなんて早いんだろうと、焦る。
体内時計(リズム)がトロくなっているから、周りが早く感じられる。
感覚的なもの=錯覚なんだろうけど。
自分が不十分感をもっているから、早く感じられるんだろうな。
自分のブログでさえも、間が空くと、来るのに気合いが要る。
ちゃんとできない時には、できない自分を赦すこともワークのひとつだっけ。
ACIMワーク227-これが、私が解放される聖なる瞬間である。
レッスン227をやっていたのは、11月23~26日頃。
やっていたと言っても、文章を読み、朝晩15分くらい瞑想ワークするだけだけど。
少しでもACIMワークを離れると、この世とこの世の価値観がリアルになる。
やっぱり私たちは肉体で、肉体の死とともにすべてが終わる。それまでの間いかにこの世で自己実現すべきか…と。
それに並行してACIMが奇想天外、荒唐無稽なものに感じられる。
これは現実逃避のもので、気休めだな。。と。
私と神さまのつながりは、これくらい薄いものなんだな、と思い知る。
ACIMワークに戻って、そういえば、そうだった…となり、遠くなっていた神を思い出す。
神さまは探さなくても、そこに在る。
自分の感受性を取り戻すだけだ。
それには赦すことと感謝すること。
このシンプルなことを、覚えている時はなるたけ、やろう。
これは、ACIMを生きようとそうでなかろうと、「実際に」役立つことだから。
ここ最近のワークで「絵本つくりかた」という本が出てくる。
それが聖霊さんからのアドバイスかどうかわからないけど、目を閉じて静かにしていると、その本が出てくる。
だけど、買えてない。
差し迫って必要なものじゃないから、2,030円が高く思える。
だったら、「Webデザイン」の本が欲しいな、などと思っているとポチっとできないのだ。
今日のワークでも、その本のことを思い出していた(一回イメージに出てくると連続するのか)。
さっきブログを書くために、レッスン227ワーク時のメモをを見たら、すでに、
「『絵本つくりかた』買おう」とメモしていた。
いつから、そう感じているんだろう。
その「メッセージ」が本物かどうかわからなくても、「2,030円」投資をしてみることは価値があるだろうに。。
一方で、それ買ってどうなるっての?受けとるのも面倒なんだよな、と、ぐだぐだしぶる自分もいる。
「神の子は今日、自分の夢を放棄する。神の子は今日、罪から解放され、聖性に包まれ、ついに正しい心を取り戻し、再びわが家に帰る。」(L227-2-2,3)
↑改めて今読んで、気になったところ。
はたして「絵本つくりかた」は年内に買えるか。