2018-11-22
「おもてなし英語」を申し込むのに、感じた怖さ
最近、東京都の各区(市町村も?)で、「おもてなし英語講座」なるものが開催されている。東京オリンピック・パラリンピックに向けてのボランティア育成の意図もあるんだろう。
私が引っ越してきた区でも、来年1月からの短期講座のチラシを見つけた。
英会話はずっと私が身につけたいと思っているものの一つ。
今回見つけた講座は「無料」。願ってもない。
対象は、「英検2級以上またはTOEIC600点以上相当で、日常英会話ができる方」。前半はかろうじてクリアしているけど、後半は全然だめだ。
月2回、初級英会話に通っているけど、ホントのカタコトしかしゃべれない。義務教育から何年も英語をやっているはずだけど。。
今日も講座があって、先生から
「How is your room?(あなたのお部屋どんな感じ?)」と聞かれ、とっさに、
「…square(四角)」と答えたら、笑われてしまった。「このなかに三角の部屋に住んでる人いる?」みたいな英語を言って(>_<) (^_^;)
そんなこともあってか、中級おもてなし英語に申し込みたいと思ったけど、怖かった。たいしたリスクじゃないのに。
私が怖いと思う理由をよくよく感じてみたら、英会話ができないこと以上に、先生や他の受講生さんに自己紹介したりする場面があるだろう、その時に、ひとり者で子どももなく、今は職も持っておらず、、「自分が何者か」説明できないことが、怖いのだと感じた。
未だにエゴが強くて、防衛的。気づくと、固まりになっている。
その不安感を赦した。
そして、こんなんじゃ、いくらACIMを学んでいるつもりでも、いつまで経っても「畳の上で水泳の練習をしている人」だよ!、と思って、エイッとはがき(今どき往復はがきでの申し込み)を書いて出した。
申込み多数で抽選らしいから、どうなるかな?
ACIMワーク225-神は私の父であり、子は父を愛する。
英語つながりでいうと、原文は「God is my Father, and His Son loves Him.」となる。
完全に代名詞が男性形。
これは、ACIMがイエスによる聖書の修正版だから代名詞は聖書に準拠しているといった説明が『神の使者』にあったけど、これは女人間からすると、疎外感を感じる表現ではある。
日本語訳は、「Son」を「息子」ではなく「子」と訳してくれていて、それが地味にうれしい。
文章の中でとくに響いたのは、「そして、本当は始まったことのない旅を終わらせるこの最後の数歩を歩み終えようとするとき、私たちが求めるのはこの一体性である。」(L225-2-5)
本当は始まったことのない旅か…
全然脈絡がないのだけど、このワークをやっている時、「私がワークを始めてからここ数年位引きこもりがちだったのは、ACIMの思考を身につけるための“補助輪”だったのかな~」と思った。
外界との接触が多くて慌ただしいなかでは、私みたいな者はすぐ巻き込まれて、そこからまったく進まずACIMから離れてしまっていただろうから。
今は、もう補助輪を外していい。
世間にもっともまれながら、ACIMを実践していく時が来ている。
…と、感じた。