2018-11-11
ようやく第2部に入った。
この『奇跡講座』ワークプロジェクトは、学びはゆっくりながら、気づけば私の根幹になっている。
これは宗教ではない。自分の霊性の学びだという。
組織に属する必要がなく“自学自習の書”というのが、私に合っていると思う。
第2部では、あまり言葉はあまり意味を持たなくなり、神なる真理の直接的体験を求めるという。ワークはその直接的体験に向けて自分の内側に入るための導入部として機能する。
「これからも、朝と夜に好きなだけの時間を神と過ごすことを素づけていく。」(第2部序文2-6)「また日中は、忘れずに一時間ごとに神を思い出す。」(第2部序文2-9)
初回のワーク時は、第2部に少し苦手意識を持っていた。
「父なる神」としての擬人化がさらに強まった感じがあり、それがなじまなかったのだ。今回はどうかな。
好きなフレーズはこれ。
「神を迎えることが自分の意志だと認識したあなたを訪れることが、神の意志である。そしてたとえ漠然とでも、それが自分の意志だと見なしていなかったら、あなたは決してここまでこられなかったはずである。」(第2部序文5-6,7)
この後半の文に自信と勇気がもらえる。
第1巡目にどんなことを書いているかな?と過去ノートを見てみたら、2015年3月5日に
「今日から第2部だ。“神の声をきく”というが、聖霊の声もキャッチできていないのに…」というメモ書きがあった。
ACIMのブログを作りたいとも書いていた。それに対して、「こわい、どのスタンス(立ち位置)で書いたらいいのかが、まずわからない。」とも。
私、変わってないな(^_^;)
でも、ともかくACIMから離れずやっている。
世間的には紛れもなく退化で、自分的には退化なんだか進化なんだかわからないけど。
(“進化”と入力しようとしたら、私のパソコンは変換がおかしくて何度入れようととても“芯化”になってしまった。)
もしかして、ACIM学習とは芯に向かうこと=芯化なのかな?