2018-03-07
転換点①-ACIMを生きるのか、ACIMに逃げるのか
先週、ワークブックのレッスン178をやっていた時、ふと感じた。
私は、ACIMを信じてはいない、と。
私は、自分が信じているゲンジツからACIMに逃げているだけだ。ACIMは私にとって、この世という強固なゲンジツからの幻のシェルターの役割を果たしているにすぎないと。
そして、今は別れ道であり、転換の時なのだと感じた。
―ACIMを生きるのか、ACIMに逃げるのか。
今はACIMに生きているのではなくACIMに逃げている、ということだろう。
転換せよ。
心してACIMに生きよ。
そして、ACIMを生きるためには、心して聖霊の声に耳を傾けること。
そう言われた気がした。
転換点②-隠れACIMでいるのか、分かちあうのか
それともう一つ転換のポイントがある、という(感じた)。
それは、本を相手にひとり学ぶ者から、分かちあう者への転換。それが求められていると感じた。
この世での他者は自分の鏡。兄弟姉妹がいてこそ、自分が見えるし、赦しの機会に恵まれもする。
ACIM人格と、この世人格をまったく切り離しては、それこそ、さらに分離の世界に入り込むだけで、万華鏡の模様が細かくなるだけなんだ。
今もACIMの勉強のおかげで、前より不安感が減り心が平和になったとは思っているけれど、隠れキリシタンのごとく、自分の信じるものをひた隠しにしているのでは、真に生きているとは言えない。
分かちあうのは昔から苦手。誰かといる時は、合わせた方が楽、と自己主張をしないから、真っ向から心を分かちあうということをしたことがない。
でも、今年は(来年も?)転換点なんだなぁ、と感じた。
①も②も見る角度がちがうだけで、同じことを求められているのかもしれない。
まいにち、すこしずつ、ACIM生きる度合いを強くして、人ともなるべく分かちあおう。
ゆるやかに、ゆるやかに。なるたけ、だけど。