レッスン81-レッスン61、62の復習

2017-02-17

昼。今日の関東はぽかぽか陽気だ。19℃位まで気温が上がるとか。風がすごく強くて洗濯物が飛んでいきそう。花粉症の私にとっては、いよいよ花粉の季節到来だ。薬を飲んだりしたことはなくほとんど放置…だけど、今年はどうだろう。すでに耳かゆいような。

二回目の復習の時が来た。しばらくワークにブランクがあるから、ここにきてまた復習できるのはありがたい。

レッスン61~80まで2つずつ、一日の前半はそのうちの1つの主題概念に、後半はもう一方の主題概念に捧げる、とある。中心となるワークは、主題概念を理解したうえで静かに心からの声を聴くことだ。

ワークブックには、「あなたを待っているメセージがある。自分は必ずそれを受け取る、という自信をもちなさい」とある。

レッスン61:私は世の光である。

私がこのワークで感じたこと…

主題概念を読んだ後心の声を聴いた時すぐに浮かんだことは、「私が世の光ならば、ワークの影に隠れているのではなく、照らす機能(はたらき)があるのではないか」ということだった。当然聖霊さんと二人三脚で。

受け取ったメッセージは、

私はフリーランスで経済的に不安定なことや、気力体力不足を感じ毎日の生活を回すのがやっとだと心配しているけど、

実はシンプルなんだ、

何も心配せず、自分のACIMプロジェクト(ワークやテキストやその他)を感じたままに続けさえすればいい。あとは周りに感謝をするだけ。

それだけで、光が照らす道が開ける…と。

その他諸々必要なことは都度与えられる…と。

難しさがあるとすれば、それを信じてエゴを明け渡すことができるかどうかだけだと。

いかにもACIM的なメッセージのように思える。そして、同様のメッセージを繰り返しいただいている気も。

ワークによって、「自分が世の光と知ったのなら、世の光らしくふるまいなさい」とも言われた気もした。

でもねぇ、、もう一方の自分からツッコミが入る。

しかし「いえいえ、私なんか」というのは、謙遜ではなく自己卑下。裏返せば傲慢なんだ、とメッセージの続きが…。

 

傍からみると、すべて暇人の妄想と見えるかもしれないけど…。

ともかく、自分なりのペースで、日常生活とワークを続けていこう。

レッスン62:赦しは、世の光としての私の機能(はたらき)である。

「赦し」というのは、ACIMワークの中心的概念だ。

ワークをして、やはり、赦しを徹底することが大事、と感じた。

そして赦しが必要な兆候としての自分の「不満」の気配にも敏感でいること。

今週日曜に年上の友人の絵の個展で買った小さな絵のタイトルは「クジャクの嘆き」だった。作者である友人は、絵の中のクジャクが世の中のいろんなことをみんなが当たり前だと思っていることを嘆いているのだって、説明してくれた。

「ほんと、当たり前のことなんてないのよ。私たちこの世に自分で作っているものなんて、何にもないんだから。与えられているのは当たり前じゃないのよ」と。

たしかにな~、私は毎日ご飯を食べているけど、一回も自分で釣ったことないし、お米も作ったことない、野菜も。服もそうだ、コンタクトだって。そう考えるといろんなことがありがたく感じてきた。道も作ったことなければ、テレビも。もちろんスマホも。

そう考えると、少しでもお返しするには、自分に与えられた仕事や役割をちゃんとやることを通してしかないよな。

実際には、寒いってことだけでイラだつ私だ。

すべては当たり前でないってことを忘れないこと。そして私に来たしごとをしっかりやること。都度感謝して、それを表すことなんだな。

どれも得意とは言えないかもしれないけど。

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