2017-02-13
レッスン80-私の問題がすでに解決されていることを認識できますように。
これは、1つ前のレッスン79「問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。」の続き。
私たちには、1つの問題しかない。それが「分離問題」―神から自分から離れてしまったと勘ちがいしていること。そして、それは勘ちがいなのだから、それに気づきさえすれば、問題と思っているものはそもそも存在しないのだ、とわかる。
レッスン80に書かれているとおり、
One problem, one solution. (1つの問題と1つの解決法があるだけ)
なのだ。
そうは言っても、私たちはエゴのものの見方が定着しているから、「問題がない」って言われても…あるじゃん、となる。ものの見方を変え習得するには、長い訓練の積み重ねが必要だ。
「私の問題はすでに解決されている」と自分に繰り返し、ものの見方を変えようとする訓練が、このワークだ。
「解決法は問題に内在している。あなたには答えが与えられており、あなたはそれを受け入れた。あなたは救われている。」
この考えを受け入れられれば、心には平安が訪れるはず。自由で心安らかなのを感じることもワークに含まれる。
つまり、私たちが問題だと思っていることは、「自作自演」であり、まちがった自分であるエゴが、自ら問題を作りだし、それに悩み苦しんでいるにすぎない、ということになる。
これは、この世の考え方とは真逆だし、かなり奇想天外なことだと思う。
でも、私はACIMの考え方を信じて受け入れようと思う。
私たちは、今ここで、幸せであってもいい。平安であってもいい。
問題はたった一つであり、すでに解決済み。それを何度もくり返し、言い聞かせよう。
ワークをやって感じたこと
昨日の午前、このワークをやったとき、私の心に浮かんだことは、
私は、ひとり暮らし&基本ひとりで家でやる仕事…で、ひとりでいすぎていて、「さみしい」と感じている、ということだった。さみしいと思う一方で、ひとりでいるのを好むのだ。
⇒なぜひとりでいすぎるのか。
⇒ヒトに対してキンチョーしてしまう、その結果すぐ疲れてしまう。
⇒おそらく根底にヒトに対する恐怖感みたいなものがあるんだろうなぁ。
⇒それはOne problem、つまり、神から自ら離れてしまった罪の意識とそのことを罰せられるだろうという恐怖の再現ビデオみたいなものが、私の場合はそういうかたち(人への恐れ)で出ているんだろうな
⇒でも、それはそもそも勘ちがい
⇒one solution、それに気づきさえすれば、すでに解決済み。
⇒恐れることはない、平穏でいていい、平穏であるべきだ。
という一連の思いの流れだった。
元々内向的だったが、ACIMの勉強を始めてから、ACIMにしたがって物事を見るように訓練していたら、ますます浮世離れしてワークや勉強の影に隠れるようになってしまった気がしている。
赦しの機会は人と触れ合ってこそ得られるものだし、愛は分かち合うものだし、これでは本末転倒だろうとも思う。けど、この2、3年位はそうだった。
友人の天使画展で刺激を受けた
昨日午後には、「天使画展」という絵の個展に行ってきた。もう10年以上前に、あるスピリチュアル系のセミナーでご一緒だった素敵なちょこっと年上のお姉さんで、その後もおつきあいさせていただいていたが、この数年はお目にかかる機会がなかった。
神楽坂のギャラリーには、ほっこりする天使の絵や、動物の絵があった。今回は「天使」がテーマだけど、「曼荼羅絵」の個展もしたりするらしい。
私は2つの点で、大いに刺激を受けた。
内に持っているものじゃないと出せない。こんなたくさんの美しい絵が描けるなんてすごいクリエイティビティだな~、素晴らしいな、というのが1つつ。
もう1つは、それをこうして「現実的に」世の中に発表する=さらす、ということができている点。趣味で楽しむのももちろんいいけど、自分の絵に自分で価格を付けて、ギャラリーを借りて、お知らせを出して…とそういう手続きを踏んで、自己表現されていることが、すごいな~、と。
たまたまお一人でおられた時だったので、いろいろおしゃべりできた。私にとっては、その時の彼女がそのまんま天使のようで、癒され、背中を押された気がした。
「あなたも、勇気出せるでしょ?」と。
1つ絵を買った。クジャクの絵。
「あたりまえのことをあたりまえを思う風潮に嘆いている」らしいけど、なんかかわいい。
もうすぐ母の誕生日だから、チョコと一緒に送ることにした。
人と比較することではないけど、前をいくお姉さん的存在がいてくれるのはありがたく、頼もしい。感謝。