2016-12-12
レッスン78-奇跡がすべての不満と入れ替わりますように。
「自分が下す決断はすべて、不満と奇跡のどちらかを選ぶ決断だということが、まだあなたには明らかではないかもしれない。」という文言からレッスン78は始まる。
どんな不満もその向こうにある奇跡を遮る。視点が不満にフォーカスされることによって、その向こうにある奇跡は見えなくなってしまう。奇跡の世界の住人となるためには、この不満のシールドを超えた見方を身につける必要がある。レッスン78はこのためのワークだ。
日常的に抱く不満がそんなに大ごとだとは、正直ACIMを学ぶまでは認識していなかった。ACIM一度目のワークをしている時「もう不満は言わない」という本を読み、やはり不満は止めようと決意したことがあった。この本では「ブレスレットを手にはめて、不平不満を言わないように21日間頑張ってみる」という実践を提唱していてブレスレットも買った。けど、21日間数える、というのが、できず、そのうちに忘れてしまっていた。
気づくと、奇跡か不満かの二者択一では、常に不満を選んでいる気がする。奇跡か不満かというより、心理状態によっては不満しかないという時さえある。
自分の不満はつい「正当」だと思いがちだけど、ACIMでは、幻想を見ているから不満が見えるのだという。その見方をを逆にして神なる真実を見るトレーニングをする。
ACIMの日常的な実践はこの自分の不満とどう関わるかということに、集約されるのかもしれない。もし、不満を抱かずにすべてを見通せる見方を身についていれば、学習はかなり進んでいると言えそうだ。それくらい「不満」というのは手ごわいものでもある。
日頃抱く不満の多くは、人が関わることだ。しかも大きな不満は近しい人に感じていることが多い。
レッスン78では不満の対象としてきた人をひとり選び、そうした不満を退けてその人を見てみる。
不満を抱く人は、嫌いな人とは限らず、「あなたが自分ではその人を愛していると思っているのに、そのあなたを怒らせた人」や「友人と読んではいるが、時には気むずかしく、扱いにくく思える人」なども例に挙げられている。
不満を抱く相手は、自分の救済者
その人は、私たちの救済者だと、ACIMは言う。
不満を持つその人の中に、神の子を見られるようになることによって、自分の内なる神を感じられるようになる。つまり、不満を抱く相手は、神の国に私たちを手を引いて導いてくれる、導き手その人だということだ。
ひとりの人を選び、まずはその人を今自分が感じているままに見る。欠点や厄介な状況や、自分に与えた傷とともにその人を見る。その後、そうした表面的なことを超えて、その人を見る。
そして、聖霊に対して次のように頼む。
「この人の中にいる私の救済者を、私に見せてください。あなたはこの人を聖なる光へと導いてくれるよう私が頼むべき相手と定めました。私がその光の中にいるこの人とつながることができますように。」
そして、不満を超えたところにあるその人の中の光を、自分の心の中でみせてもらえるように求める。
ワーク、私の場合
私がワークの対象として選んだのは、結婚していた相手、元夫だ。彼とは若い頃短い結婚の後、20年経って偶然再会…。それから、また恋愛感情を抱くようになったが、いろいろあって会わなくなりもうすぐ2年になる。傷つけたし傷つけられもした。
会ってない今不満を持っているわけではないけど、こういうワークをするとなると思い出す。たぶん前回のワークの時も、彼を対象にしたのではなかったかな。過去の傷が疼く、というより、正直言って、まだ未練があるのだ。それはこの幻想の世のさらに幻想かもしれないけど。
彼を思い描きながら、「この人の中にいる私の救済者を、私に見せてください」と聖霊に頼むのは、最初はやはり抵抗がある。でも、それができたら、少しまたすっきりした。まだまだ完璧に「赦す」(感情を手放す)ことはできないかもしれないけど。
私が彼にざわつくのは、わかりにくい言い方かもしれないけど、彼に私の「罪」を投影して見ていて、その「罪悪感」が刺激されるからだと思う。
それは今世のことではないかもしれない。人間、この(仮初めの)ゲンジツの世では、ある時は男だったり、ある時は女だったりするという。そうやって何回も何回も輪廻をくりかえしているという(もちろんそれも幻想だけど)。
私、前世で男だった時、女の人に悪いことしたのかな?また女の時は、女の身ゆえに辛いことがあったのかな?仏教にも詳しいカルチャーの心理学講座の先生には「色情因縁」というのだと言われた。(これ、すごい字面だ)
うまく言えないけど、そういうことを思わせるイメージが自分の中にある。
不満を人に投影するのではなく自分に投影した場合は、病気など体に不具合が出るのかもしれない。
ものの見方の転換は頭では理解できる。人の話を聞いても、わりと客観的に判断できる。でも、こと自分のこととなると、つい感情に振り回されわけがわからなくなってしまう。
「21日間、不平不満を言わない」チャレンジも、もう一回トライしてみようかな。どうにか21日間数える工夫ができたら、できそうな気もしている。「不満を言わない、感じない」それはACIM実践の要だから、常に忘れないように、したい。