2016-10-01
レッスン65-私たちの機能(はたらき)をじゃましている考えを見つける
レッスン61に入ってからはずっと
私たちの機能(はたらき)について、ワークが進んでいた。
そのはたらきとは、「世の光として、赦しを実践して同胞の神の子を救済すること」。そして、その神の子とは他ならぬ自分自身だ。
レッスン65は「私の機能(はたらき)は、神が私に与えたものだけである。」である。
これには2つの局面があるという。
「一つは、救済をあなたの機能として認識することであり、
もう一つは、あなたが自分のために作り上げたほかのすべてのゴールを手放すことである。」
私たちの心の大部分を占めるエゴは、この2つ目に大いにビビるのではないだろうか(私はそうだ)。
そして、今日のワークでは、今日の概念をくりかえして、心によぎる考えを見つけること。その考えが向いている行き先が、私たちの機能を受け入れることをじゃましている、という。そして、心によぎる考えをやり過ごし、その後に現われる空白に自分の真の機能を書きこめるよう祈る。
私の心によぎったこと
私が、このワークで心によぎったことは、
①「きのうのテレビの武井壮の話、すごいな。小学生の頃から体のしくみを勉強し始めて、お医者さんに行かずに自分で背骨の骨折まで治してしまった?!そんなばかな…でもありうるかも」私も体のしくみを知って、からだを根本からリメイクしてみたい…。
②そういえば、前回(2013年)このワークやった時、何あげたっけ?…あの時は、まだお父さん、生きていて闘病中で、お父さんが元気になること願ってたんだ…。お父さん。。。残された肉親、お母さんにはなるたけ元気で長生きしてほしい。
③レッスン65のこのテーマでブログって、どう書いたらいいかな。3年前やったこのレッスンのことをふりかえって何か書くってのもありか。。
④そういえば都知事として初の所信表明した小池さん、ワインレッドのスーツが秋口に映えて美しく見えたなぁ。声のトーンもきれいで話がすっと入ってきた。姿勢、服の色・デザイン、話し方も含めて「見せ方」ってやっぱり大切だな~。
などなど。
ほんの数分のワークの中でいろんな雑念がよぎっていた。
これらが、私がACIMワークで与えられている機能を果たすのを妨げるものだとは…!?
①は体への関心なのかな?(私たちは霊的な存在であって体は幻想の領域のものだ)
②は過去への思いと、肉親への「特別の愛」。(ACIMの正しい見方では、過去も幻想だし、肉親への愛と他の人への愛を区別しない)
③④では、私は「見せ方」というものに関心があるみたい。むかし『人は見た目が9割』っていうベストセラーがあったけど、けっこう見た目の印象って大きい、中身も大事だけどイメージで左右される、って思っている(これもACIMの見方では神への道を阻むものなんだろうか)
聖霊からの?アドバイス―「ブログを自我のコントロールに置かないこと」
次の日もレッスン65のワークをしたけど、
その時には、
「このACIMのブログ『奇跡講座ダイアリー』を自我のコントロール下に置いてパッケージ的なものにしないこと」というメッセージを受け取った気がした。
私がついどう見せるか、見られるかを意識して、私のエゴ主導でまとめたがっていることに対する「警告」なのかな?
ブログはただ水路のようなもの、私はただ水路づくりの準備だけすればよい、あとはおまかせ。
といったような感じを受け取った気がした。
怖いから、コントロールして何とかしたい、というのは、私のパターンとしていろんな場面であるかもしれない。
それと、身体や見た目へのこだわり、過去へのノスタルジックな思いというのも、根深そうだ。過去への思い=若かりし自分への執着心でもある。
私の場合、元から物欲はない一方、もっと深いところへの執着があって、それが私に与えられた機能(はたらき)を妨げているんだな、と自覚した。