小?休止

2021-07-06

パソコン直って帰ってきた

先週末、液晶部品が入荷したと連絡があり交換してもらいに行った。

パソコン修理屋さんは「このタイプは国内流通量がきわめて少ないから入荷までに2週間くらいかかるかも」と言っておられたが、依頼して5日。思いのほか早かった。

自己治癒しないか?あるいは直してもらうとしてどこに依頼するのがいいだろう?と壊れた後数日間迷っていたけど、こんなに早く直してもらえるなら、さっさとここに来ればよかった。

新しい画面はクッキリ。

おカネはかかったが、買い替えにならなくて本当によかったと胸をなでおろす。

ワプニック先生解説本読み、詰る

ワプニック先生のACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle』訳&読みプロジェクトのほうはすっかり止まっている。

パソコンを使って作業をしていたので物理的にできなかった。

それより大きかったのは、その間の気持ちの変化というか気づきのほうだった。

誰に強制されたわけでもない“自分プロジェクト”でいわば道楽なのだが、「しなければならないもの」と思い込み疲れてしまっていたのだ。

英語力が足りず文法や用語など確認しながらやっていたので、進みは遅かった。

自分なりには頑張っていたけれど4巻あるうちの1巻読むのに丸2年かかった。私の中ではこれでもハイスピードだ。…あと3冊ある…てことは少なくともあと6年。

ああ、6年…、とくらくらしてしまっていた。

せっかくご縁があって知ることができた本。海外の学習者の方のレビューを見ても「素晴らしい」とある。

奇跡講座の学習を志すなら、これはやらねば…。

読んでいく作業は楽しい。解説を理解できた喜びもある。

問題は、時間がかかりすぎていること。意識が内側に向かいますます浮世離れしてしまっていることで、これはニンゲンとしてまずい気がしていた。こんな道楽三昧で…と不安と罪悪感もあった。

続けられるかぎりはやるのだと思っていたが、市場性がないことを続けられる自信もなかった。

トベちゃんのアドバイス

そのタイミングでトベちゃんに電話した。いろいろおしゃべりした。勘のよいトベちゃんは私の行き詰まりを感じてか、アドバイスをくれた。

「博士の本読み、1ヶ月くらい休んでみたらどうですか。」

「これ、やるのに気合いるから、1ヶ月休んだらもうやる気にならないかも。」と私。

「じゃあ別にやらなくてもいいじゃないですか。」

…!?(;゚0゚)そうなのか。

「ぜったいやらなきゃ」と強迫観念に縛られていた…が…。

…そうかもしれない。

電話を切った後、頑固な私にもアドバイスが沁みてきた。

「絵に描いた餅」がとおい

本読み仲間と出会ってからしばしば感じているのは、私は奇跡講座への志が高くないんじゃ?、ということだ。

内容を否定するわけではもちろんない。

世の中のしくみはそうだったのか、と目からウロコだったからこそもっと知りたかった。

しかし、私の場合数年間やってきて理論勉強と実践の間の乖離が大きすぎて、「絵に描いた餅」だけがどんどん美しくなっている気がしていた。

たぶん、私は正真正銘、俗物なんだな。

ニンゲンだもの

だいだいニンゲンである以上、たとえ一瞬の泡のような存在であっても、この世でわが身と身近な人の安全と幸福を願うのはしごくあたりまえだ。若くてエネルギーがあればパートナーも欲しいだろうしこの世で何かにチャレンジもしたいだろう。

そこを否定する必要はないし否定もできない。

そして、ここでの三大悩みは、健康、おカネ、人間関係とそれが絡み合ったものだというけれど、それに気を揉むのも自然だ。

たとえ、根っこに「神との分離」という大勘違いに原因があったとしても。

ほんとうにむずかしい

奇跡講座の根幹の赦しの実践は、ほんとうにむずかしい。この世のジンセイゲームのコマでいるときは、サイコロで出たイベントに一喜一憂してしまう。

何がむずかしいのか。

それは、思い出すことだ。

これは、幻想である人生映画でその映し手は、自分だということ。

出来事も登場人物はすべて「自分」の影なのだ。

ゆるゆる実践するべ

大事な瞬間に思い出すためにも、理論的に学ぶべきことはたくさんあるだろう。私、そもそも籠りモードになりすぎてニンゲン的に偏ってしまっているかも。

まぁ、奇跡講座の勉強をまったく止めてしまうだろうとも思えないけれど、そうそう焦ることもないのだ。

理論はさておき、思い出したら赦す(実践)…をなるたけやることにしようかな。

「赦す」は動詞だから、私には少しなじみにくいところがある。五井昌久先生が言われていたように自分に起こる出来事をすべては「消えていく姿」と霊に感謝して頓着しないようにしていこうかな、と思う。

そうなってくるとコースじゃなくなる…?まあ、よい。自分のしっくり感を道しるべにゆるゆる行こう。

“小?休止” への2件のフィードバック

  1. utaka より:

    タマソニアさんのような向き合い方しているわけではなく、もっとゆるく、しかも日本語の本を読んでいるだけの奇跡のコース学習者ですが、仰っているようなこと、私もふと思うことがあります。
    日々の生活の中でも、この考え方がなかったら乗り越えられないなと思うことがあったり、案外自分の使い勝手いいように取り入れているのかもしれません。これでいいのかな、もっときちんと向き合わなければいけないなとは思うものの、日常生活が押し寄せてきて、コースをご無沙汰してしまうことも頻繁です。
    苦しい思いしながら自分のものにしている時、ここから離れてもっとお手軽な本読んで、気楽に暮らしたらいいのに、、と思えたり。
    タマソニアさんのブログは、そんな私の励みになってます。

    • タマソニア より:

      久しぶりに更新した、しかも長文記事を読んでくださり、コメントくださりどうもありがとうございます *ᴗˬᴗ)⁾⁾
      私、トベちゃんのひとことにふっと楽になりましたが、それがコースを知らないかたのアドバイスだったら、聞く耳もたなかったかも?
      その頑なさが自我なんですかね~
      わたしこそ、ukataさんにコメントいただき、すごくうれしいです、私の励みになっております。どうもありがとうございます。

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